ファスト&スロー(下) あなたの意思はどのように決まるか? (ハヤカワ文庫 NF 411)

  • 早川書房 (2014年6月20日発売)
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ノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンの書いた行動経済学の基本となる心理学を解説した本。
人は二つの思考法に依って判断していることを基本にして、具体的な心理学実験をいくつも取り上げながら様々な思考を解説している。
一般的な経済学の考え方が如何に安易な仮定の元に成り立っているのか、昨今行動経済学が何故これほども注目されているのか、がよく分かる。
長い本だが表現が完結で読みやすい。

二つのうち、システム1(直感的思考、速い思考)と呼ばれる思考法は、思い出しやすさ、入手しやすさに頼ったり、あるいは難しい判断を下すにあたって似たものを探しだして単純化したりしてしまう。このように判断に予測可能なバイアスがかかり影響を受けることを、利用可能性ヒューリスティックと言う。
このような直感的解決・判断の探索は意識せずとも自動的に行われるのだが、ヒューリスティックな解決が一切浮かんでこないときに発動されるのがシステム2、即ち熟慮熟考、遅い思考である。
思考や行動をコントロールし、論理的に冷静に物事を判断するのがシステム2なのだが、これが実際は怠け者であることが多々あるらしい。

この思考法と下巻の中盤から出てくるプロスペクト理論を中心とした当たりに、本書の核心があるようだ。
いまの経済学の中心は、経済主体(エコン)は合理的であるという前提の元に展開されている。
公共政策における自由至上主義(リバタリアニズム)的アプローチに理論的根拠を与えているのもエコンであり、このアプローチでは、個人の選択が他人に迷惑をかけない限りにおいて、個人の選択の権利に干渉しない。

しかし本書で何度も語っている人(ヒューマン)の判断は、まったくもって合理的な判断では動かない。
プロスペクト理論で取り上げている判断の特徴や、システム1と2に基づいた思考は、まさに現実の人の行動そのものである。
従来的な経済学では説明できなくなってきた社会において、行動経済学が注目されて来た理由がまさにそこにある。
その基礎となっているのが人の思考法を解き明かす心理学であり、本書はそこを平易に徹底的に解説した見事な著書といえるだろう。
読み通すのには時間が掛かってしまったが、旧来型の経済学と比較した行動経済学の意義を実感するにはまたとない良書であった。

長くなってしまうが、本書に出てくる重要な思考行動を、後顧のためにいくつかピックアップしておく。
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・プライミング効果
ある単語に接したときには、その関連語が想起されやすくなる効果。
たとえば、「食べる」という単語を見たり聞いたりした後は、単語の穴埋め問題で〝SO □ P〟と出されたときに、SOAP(石けん)よりSOUP(スープ)と答える確率が高まるような効果のこと。この効果は概念や言葉だけでなく、意識さえしてない出来事が行動や感情に影響を与える。

日本でもあった例だが、放置自転車に業を煮やした自治体が、駅近くに大きな目が見つめている看板を置いただけで自転車を置かなくなったことがある。
これなどは無意識のうちに行動に影響を及ぼしたプライミング効果の良い例だろう。

・説得力ある文章とは
原則としては認知負担を出来るだけ減らすこと。
プレゼンではよく使うが、色や大きさで文章の一部を強調したり、文章を短く韻文的にしたり、繰り返すことが大きな効果を産み出す。
怠け者のシステム2に知的努力をさせずに、システム1だけを相手にしてしまうということらしい。

・ハロー効果
ある人物や出来事のすべてを、自分の目で確かめてもいないことまで含めて好ましく評価(または全部を嫌いになる)する傾向のこと。後光効果とも言う。

・少数の法則
標本数が小さいときには極端なケースが起こりやすいことは、多くの人が認識しているはずだが、実際に調査結果から物事を判断しようとする時、そこを勘案せずにミスを起こすケースが殆どだという。
十分に高度な知識を持つ統計学の研究者を集めたケースでも、同様なことが頻発するという。
ここにも怠惰なシステム2を発動せず、システム1の中で判断してしまおうという人の思考法の癖が明確になっている。

・アンカリング効果
ある未知の数値を見積もる前に何らかの特定の数値を示されると、その数値に近い見積もりを無意識のうちに出してしまう効果。これは、実験心理学の分野ではきわめて信頼度と頑健性の高い結果で、見積もりはその特定の数値の近くにとどまったまま、どうしても離れることができない。

たとえば「ガンジーは亡くなったとき一一四歳以上だったか」と質問されたら、「ガンジーは亡くなったとき三五歳以上だったか」と訊かれたときよりも、通常ははるかに高い年齢を答えるものだそうだ。
事前に意識して構えていても、なかなかこの効果を回避することは出来ないという。

・代表制ヒューリスティック
確率的に物事を判断するときに、代表的な内容に判断対象を置き換えてしまうこと。
マイケル・ルイスの「マネーボール」であったように、伝統的なスカウトは選手の体格・外観・目立つ数字(打点、防御率)で将来性を占うが、アスレチックスのGMは純粋に確率だけで選手を揃えたことなどはこれに反した例だ。

ここで出てくる典型的な例が「リンダ問題」。
「リンダは三一歳の独身女性。外交的でたいへん聡明である。専攻は哲学だった。学生時代には、差別や社会正義の問題に強い関心を持っていた。また、反核運動に参加したこともある」というプロフィールがあった際に、被験者にリンダの職業を選択肢の中から選ばせると多くが「銀行員」ではなく「銀行員で、フェミニスト運動の活動家」を選ぶらしい。
まさにヒューリスティックと理論(確率的には銀行員である方が圧倒的に高い)が不整合を起こす例である。

・後知恵バイアス
手持ちの限られた情報を過大評価し、ほかに知っておくべきことはないと考えてしまう。そして手元の情報だけで考えうる最善のストーリーを組み立て、それが心地よい筋書きであれば、すっかり信じ込む。
知っていることが少なく、パズルにはめ込むピースが少ないときほど、つじつまの合ったストーリーをこしらえやすい。世界は必ず筋道が通っているという心楽しい信念は、磐石の土台に支えられている。

例えばグーグルの成功ストーリーを読んだ時、二人の創業者が過程で下してきた様々な判断・選択が彼らを成功に導いたものと信ずる。
しかしその選択の周辺には、数々の運があったはずであり、そこに少しの不運が紛れ込んだだけで成功への階段が崩れ落ちたかもしれない。

名著と呼ばれるビジョナリー・カンパニーについても、痛烈なコメントを載せている。
「『ビジョナリー・カンパニー』を始めとするこの種の本が発信するメッセージは、よい経営手法は学ぶことができるし、それを学べばよい結果がついてくるというものである。だがどちらのメッセージも、誇張がすぎる。多かれ少なかれ成功した企業同士の比較は、要するに、多かれ少なかれ運のよかった企業同士の比較は、要するに、多かれ少なかれ運のよかった企業同士の比較にほかならない。」

・プロスペクト理論
人の脳は、金銭的結果を評価するときに重要な役割を果たす、三つの認知的な特徴を備えており、知覚、判断、感情の多くの自動処理プロセスに共通して見られる。
システム1の動作特性を表す理論であり、三つの特徴とは以下のとおり。

①評価が中立の参照点に対して行われること
いま持っている財産や、同僚が受け取ったボーナスの額など、評価の対象に中立なあるレベルのこと。それを上回るか下回るかで、利得か損失かを判断することになる。
例:三つのボウルを用意し、左のボウルには氷水を、右のボウルには湯を、真ん中のボウルには室温の水を入れる。一分間、左手を氷水、右手を湯にひたしてから、両方の手を真ん中のボウルに入れと、同じ水を左手はあたたかく、右手は冷たく感じる。

②感応度逓減性
参照点に対する変化の度合いに応じて感じる効果の度合い。
例:100ドルが200ドルに増えればありがたみは大きいが、900ドルが1000ドルに増えてもそこまでのありがたみは感じられない。

③損失回避性
損失と利得を確立で重みを付けて直接比較したとしても、損失を強く感じること。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 社会・経済
感想投稿日 : 2015年5月5日
読了日 : 2015年4月25日
本棚登録日 : 2015年4月25日

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