逃げてゆく愛 (新潮文庫 シ 33-2)

  • 新潮社 (2007年1月1日発売)
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感想 : 24
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『朗読者』(http://www.shinchosha.co.jp/book/200711/)のときほど、ドイツが抱える歴史の負債に対する現代のドイツが直面する苦悩は、この短編集では強く出てきません。『朗読者』の時は、母親に近い年齢の女性と恋におちた少年が、その女性のかかえる過去の罪と向き合うことになるこの国の歴史、それが一人一人にどのような形で影を落とすのかが重たく苦しかった印象が残っています。

それに比べれば、『逃げてゆく愛』の各作品の重みは軽度のものです。7つの短編がおさめられているこの本では、訳者である松永さんが後書きで書いているように、全体として一個人が抱え、感じうる孤独がテーマとして共通しています。孤独っていう感情が、人ならば誰しも感じることですからどの作品も生々しいのです。数十年のときを経ても、過去のできごとと今の自分との関係性を考えて、他者からの決め付けや視線に苦悩するドイツ人の姿が描かれているのが、シュリンク作品を読む醍醐味でもあると思います。

その過去の負債を登場人物がどのように対面し対話していくのかを、読み進めていき、それを通じて読者サイドが深く考えさせられ、学ぶことができるからかもしれません。彼の作品を読みことで、自分が考えていること、考えさせられていること、逃げられるもの、逃げられないもの、を自分に反投射させて自己意識の理解に結びつけることもできるかもしれない。自分の意思・行動ではどうにもできない、目に見えない周囲の力が自分の人生に影を落としたり、順調に回っていたものを急に狂わされることの非情さみたいなのも描かれています。

作品中には、さまざまな人々は自分達の祖先から受け継いできた歴史への反応がさまざまな形で記されています。旧東ドイツにいた人々は、統一ドイツ下での生活から感じる孤独と疎外感を感じています。ユダヤ人の恋人から「ドイツ人の中にあるナチ」と言われ自分の意思や行動ではどうにもできない過去との付き合い方から時間からの孤立を避けようとする青年男性が苦悩します。自分が良かれと思っていた結婚生活とは別のところで亡き妻が見せていた顔との違いから身勝手に自分を孤独だと決め付けます。過去から脈々と継がれてきてるものが、私達の誰しもにあるということを、こうした登場人物と「周辺」「時間」「環境」との関係性から知ることができると思うのです。

ちょっと長めで、政治色のある文章ですが、印象的だったのでご紹介しておきます。「東西関係の物語はすべて、それぞれの期待や失望に彩られた恋愛の物語だったのだ。相手のどこが自分たちと違っているのか、相手はなにを持っていて自分たちは何が欠けているのか、自分たちにあって彼にないものはなにか、これ以上投資をしなくても興味をそそってくれるようなものはあるのか、そんな好奇心を抱いて彼らは生きていた。興味をそそるものはたくさんあったことだろう!それは、ベルリンの壁が開いたときの冬の状態から、東西ドイツの人々が互いに愛に満ちた好奇心を抱く春のような状態を迎えるのに十分なはずだった。しかし、壁が開いてみると、それまでは未知で異質で遠かったものが、突然で身近でありふれてうっとうしいものに変わってしまった。」

帯の裏には「男たちは常に孤独で、満たされない思いを抱えている」という訳者があとがきで書いている文章が載っています。この言葉を読んでから孤独感という視点から作品を読んでしまっていたのですが、自ら孤独になりたいと思う男も、否応なく孤独や疎外を強いられる男もこの短編集には登場してきます。孤独という言葉一つにさまざまな意味が含まれているところに、この短編集を読む面白みがあると思います。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 新潮文庫
感想投稿日 : 2008年3月23日
読了日 : 2008年3月23日
本棚登録日 : 2008年3月23日

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