読書会で課題図書になっていたので読んだのだが、めちゃくちゃ面白かった。小説のお手本のような、古典的な感じもするのだろうけれども、私はあんまりSFには慣れていないので、たいへん新鮮に感じた。
読書会のメンバーの中の意見としては、天理教に改宗して亡くなった彼の人生そのものに、SF作品以上に興味を持つ、というものがあった。
書かれている物語の手法としては、そのほとんどが、ある一方の登場人物は日常・現実・世間・労働者に生きていて、もう一人のキャラクターが、嘘・詐欺・貴族・魔術側にいて、その二人が同じ場所にいて、かつ、資本主義や偽善や差別を見事な形で表現するまたは批判するように仕上げている。現実を戯画化して現代に一撃を加える……といえばあまりに簡単すぎるが。私達はみな、奴隷商人は嫌うが、奴隷制は賛成する。いや、今は奴隷制も嫌うが、その恩恵で生きていて、本気で変えようとは思わない、という感じを描き出す感じか。
「ゴーレム」の、老人同士の噛み合わない会話と芝刈り仕事をさせられる魔法と機械を融合させたような神秘のゴーレムの哀愁。
「物は証言できない」の、奴隷は物なので、真相を目撃していても、目撃者としては認められないという皮肉な事件。
「さあ、みんなで眠ろう」の、動物保護と、そのヒューマニズムのなれの果て。インディアンの虐殺のようだ。
「さもなくば海は牡蠣でいっぱいに」の、現実を受け入れられない人間の死と、何が起ころうが金儲けと女に生きる商売人の生き方。
「尾をつながれた王族」における貴族の愚かさと懐かしさと美しさ。貴族って存在自体がSFみたいなものだから、あこがれる。
「サシェヴラル」における、猿と猿を保護するものと、猿にお前は猿だと教える者の皮肉な顛末。
「そして赤い薔薇一輪を忘れずに」の、ブラックな終わり方。資本主義の外にある世界の神秘的なものを手に入れるのに、暴力上司の頭蓋骨が代金になっている。
「すべての根っこに宿る力」の、無敵の魔術暗殺劇。すべて掌で踊らされているオチはホラーだ。
「ナイルの水源」は、既視感があったが、これが元ネタなのだろうか。どこかの日本の小説で似たようなのを読んだ気がする。星新一か筒井康隆か……。流行の源流を生み出す家族が存在しているという話。
「どんがらがん」は、最後、ドンキホーテだと思った。混沌を残して、ここでも貴族は去って行く。
登場してくる女性全員は、セックスするビッチとしか表現されていないのも時代か作者の信仰のせいなのかしら。
1950年~60年あたりのSFであり、古いとされるのだろうが、どれも実に面白かった。冒頭はとにかくややこしいのだけれども、安心して先に進めば、そのうち解るようにできている。
「パシャルーニー大尉」なんか、ものすごく渋い短編で、1時間くらいの名作白黒映画を見終わった読後感だった。
読んでみて、「貴族」というものが実に美しく書かれてある……彼は天皇について、どんな考えを持っていてどんな風に書くのかが気になった。
- 感想投稿日 : 2014年12月10日
- 読了日 : 2014年12月10日
- 本棚登録日 : 2014年12月10日
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