お母さん、ぼくが生まれてごめんなさい 改訂版

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  • 産経新聞ニュースサービス (2002年6月1日発売)
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この本読んで何回も鳥肌が立った。


本書は、重度の脳性マヒで全身不自由だった少年、山田康文―やっちゃんの生涯とその周りの人たち、養護学校について書かれている。

脳性マヒという診断を受けたお母さんのその日の日記に次のような文章がある(pp.28-30)。

(省略)
お前をこんなにした
おろかな母を恨んでおくれ 
許しておくれと 
すやすや昼寝する 
赤い顔に そっと涙を落とす

2.3日前 ソ連が
人間衛星を打ち上げ
その生還に成功した
科学はどんどん進んでいくのに
お前たちの発育を助ける
すばらしい薬は
まだどこの国でもできないのだろうか
もしできているなら
どんなに遠いところまででも
お母ちゃんは買いに行くのに
(省略)

いまでは減ったのかもしれないが、この時代では偏見が多く、やっちゃんをみると「病気がうつる」「悪いことをしたら、あの子みたいになるよ」という人もいた。弟の授業参観にやっちゃんを連れて行くと、「あれが奇生児か」「その子どうしたの」という言葉をかけられる。
1回の食事には2時間かかり、すべて細かく細かく切ってゆっくり食べさせる。
大きくなるにつれてやっちゃんの体重は重くなり、やっちゃんを背負うお母さんは腰痛を患う。
このようないろいろことがあってか、やっちゃんは次のような詩を書く(やっちゃんは書くことができなので、目で合図をして代筆をしてもらう)(p.194)。

ごめんなさいね おかあさん
ごめんなさいね おかあさん
ぼくが生まれて ごめんなさい
ぼくを背負う かあさんの
細いうなじに ぼくは言う
ぼくさえ 生まれてなかったら
かあさんの しらがもなかったろうね
大きくなった このぼくを
背負って歩く 悲しさも
「かたわの子だね」とふりかえる
つめたい視線に 泣くことも
ぼくさえ 生まれなかったら

この詩は発表会で紹介された。これを聞いたお母さんはただ目頭をおさえて立ち尽くしていた。
そして次の日にお母さんは次のような詩を書く(pp.195-196)。


わたしの息子よ ゆるしてね
わたしの息子よ ゆるしてね
このかあさんを ゆるしておくれ
お前が脳性マヒと知ったとき
ああごめんなさいと 泣きました
いっぱい いっぱい 泣きました
いつまでたっても 歩けない
お前を背負って 歩くとき
肩にくいこむ重さより
「歩きたかろうね」と 母心
"重くはない"と聞いている
あなたの心が せつなくて

わたしの息子よ ありがとう
ありがとう 息子よ
あなたのすがたを 見守って
お母さんは 生きていく
悲しいまでの がんばりと
人をいたわる ほほえみの
その笑顔で 生きている
脳性マヒの わが息子
そこに あなたがいるかぎり

このお母さんの詩を受け、やっちゃんは後半の詩を書き始めた(pp.196-197)。

ありがとう おかあさん
ありがとう おかあさん
おかあさんが いるかぎり
ぼくは 生きていくのです
脳性マヒを 生きていく
やさしさこそが、大切で
悲しさこそが 美しい
そんな 人の生き方を
教えてくれた おかあさん
おかあさん
あなたがそこに いるかぎり

この詩を書き終えてやっちゃんは2か月もしない間に、寝ている間に何かのはずみで枕で鼻と口をふさぎ窒息死してしまった。

(まっちー)

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2013年6月18日
読了日 : 2013年6月18日
本棚登録日 : 2013年6月18日

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