フツーの子の思春期: 心理療法の現場から

著者 :
  • 岩波書店 (2009年4月24日発売)
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本棚登録 : 158
感想 : 20
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 従来大人が想定してきたような思春期に特徴的な悩みや葛藤を抱く「ふつうの子」が減少し、文脈のつながらない行動を平気で起こしたり、悩みや葛藤もないけど特にやる気も起きないし、悪いのは全部周囲のせいだと本気で思い、「フツー」や「別に」を連呼する「フツ-の子」が増えてきている。という昨今の傾向を示す、様々な実例が紹介され、著者自身がスクールカウンセラーとして果たせる役割とはどのようなものかを思索する、という本。
 おれ自身が思春期の子と関わる仕事をしているのに、この本を読むと怖い、と思ってしまい、自分自身の経験の乏しさを感じざるをえなかった。「傾聴」が大事、「共感」が大事、と言われて、それを実践しても通用しない子、というのはどうすればいいんだろうか。まず、子どものつたないコミュニケーション能力についての話で、「つたない表現を理解しようと時間をかけてつきあってくれる人が周囲にいるとき、子どものコミュニケーション能力は飛躍的に向上する」(p.40)という部分、これはまずは親が知るべきことだと思う。さらに、何も悩んでないような子とコミュニケーションを取るためには「表面的な会話のスキルが必要になってきている」(p.111)、つまり「向こうのコミュニケーションの回路の狭さを、こちらのスキルを上げることによって何とか押し広げていくしかない」(同)、という部分は、そう割り切るしかないんだろうなあ、と思う。なんか年配になってもアイドルグループとか流行りのゲームに興味を持っている「フリ」をしなきゃいけないなんて、痛々しい、と思ってしまうけど、仕方のないことなんだろうと思う。その代わりに、「同じ『担当』の子とは仲良くなれない」から相手の「担当」を巧妙に探ったりするといった、「変な」方向でのコミュニケーション力というのはつけてきているんだなと思う。この「担当」の話もそうだが、特に「女の子の思春期」というのは、完全におれの理解を超えていて、びっくりしかしない。あとは大人がどこまで手を出していいのか、という問題で、やっぱり子どもだけで乗り越える問題というのもある。「複雑に絡み合っているグループ内の人間関係に大人が不用意に関わると、かえってこじれてしまうのでかなりの慎重さも求められる」(pp.68-9)という部分は、共感できた。
 途中で冬ソナや『ヒカルの碁』など、ある特定の作品のあらすじが延々紹介されたりする部分がやや退屈だったが、『祈祷師の娘』という作品は面白そうだ。「理不尽な思いを自分で抱え、自分の分をわきまえていくというのも、大人になるための大切なプロセスなのである。このプロセスにきちんと向かいあっておかないと、いつまでも自分の運命を呪うことになり、心が自由になることがない」(p.149)というのは、その通りだと思う。『ヒカルの碁』では、「異界体験」がキーワードになっているが、「子どもから思春期へと向かうときに、体調の悪い時期がしばらく続くことはよくある。自分の中に漠然とした異能性や異質性を感じたとき、それは身体のバランスを崩すことに繋がることもあるのだ。不登校の生徒の体調不良の訴えも、単に学校に行きたくないから身体が反応しているという見方だけで理解しきれないときには、この異能性との出会いとの関係でとらえてみるという文脈も必要になって来るだろう。」」(p.159)という部分は、おれにはない視点だったので、覚えておこうと思った。
 子どもと関わる仕事をする人は読めば得るところはあると思う。そして親が読むと、わが子についてものすごい不安を抱く人もいそうな本。(15/09/27)

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2015年10月11日
読了日 : 2015年10月11日
本棚登録日 : 2015年10月11日

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