断片的なものの社会学

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  • 朝日出版社 (2015年5月30日発売)
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 様々な個人の生活史を社会学の立場から分析する著者が、学問の枠組みには収まらない事柄について書き連ね、思考したもの。「世界のいたるところに転がっている無意味な断片について、あるいは、そうした断片が集まってこの世界ができあがっていることについて、そしてさらに、そうした世界で他の誰かとつながることについて」(p.8)書かれた本ということだが、これまで生きてきた人生や世界の見方を変えさせる、違う視点を教えてくれるような本だった。
 まず無意味なことが無意味なままであることの美しさ、ということがこの本の主題の1つであると思う。表紙や各ページに挿入されている写真が、無意味であるが故の美しさを表しているのではないかと思った。
 人が物語を生きる、というのはよく言われる話だが、物語が「中断され、引き裂かれ、矛盾をきたすときに、物語の外側にある『なにか』が、かすかにこちらを覗き込んでいるのかもしれない」(p.62)の「なにか」について考えを巡らせる視点に気づかせてくれた。
 他にも、人や人生にまつわるあれこれについて、思案されている。「どうしても逃れられない運命のただ中でふと漏らされる、不謹慎な笑いは、人間の自由というものの、ひとつの象徴的なあらわれである。」(p.100)とか、「何も特別な価値のない自分というものと、ずっと付き合って生きていかなければならないのである。かけがえのない自分、というきれいごとを歌った歌よりも、くだらない自分と言うものと何とか折り合いをつけなければならないよ、それが人生だよ、という歌がもしあれば、ぜひ聞いてみたい。」(p.194)という部分は、だからこそ、とてもつもなく人間は自由だ、ということだろうか。さらにその自由の逆の概念としての暴力についての思考の部分も印象的だ。例えば「規範」の暴力から逃れるために、「良いものについてのすべての語りを、『私は』という主語から始める」(p.111)、「良いものと悪いものとを分ける規範を、すべて捨てる、ということだ。規範というものは、かならずそこから排除される人びとを生み出してしまうからである。」(p.112)といったことや、だからと言って、「幸せが暴力をともなうものだとして、それでは私たちは、それを捨ててしまうべきなのか」(p.114)という部分などは、その暴力を振るうことも幸せならば自由なのだ、ということになるのかもしれない。同じように、「それについて何も経験せず、何も考えなくてよい人びとが、普通の人びとなのである。」(p.170)という部分も規範に関することだ。また、自由ではない状態、という意味では著者自身の肉体労働の経験から導き出された思考の部分で、「決められた時間のあいだ、ある感覚を感じ続けることに耐え、その引き換えにいくらかの金をもらう」(p.139)、「肉体を売る仕事とは、感覚を売る仕事であり、そして、感覚を売る仕事とは、『その感覚を意識の内部で感じ続ける時間』を売る仕事でもあるかもしれない」(同)が、自由ではない状態についての思考である。
 そして最後に、我々には何が足りないのか、という部分として、「この社会にどうしても必要なのは、他者と出会うことの喜びを分かち合うことである。こう書くと、いかにもきれいごとで、どうしようもなく青臭いと思われるかもしれない。しかし私たちの社会は、すでにそうした冷笑的な態度が何も意味を持たないような、そうしているうちに手遅れになってしまうような、そんなところにまできている。異なる存在とともに生きることの、そのままの価値を素朴に肯定することが、どうしても必要な状況なのである。」(pp.187-8)、「しかし、また同時に、私たちは『他者であること』に対して、そこを土足で荒らすことなく、一歩手前でふみとどまり、立ちすくむ感受性も、どうしても必要なのだ。」(p.188)という部分なのかと思った。
 生きるということ、世界の中でくだらない自分が存在するということ、そしてそれらが実は何も意味を持たないということ、だからこそ出来ること、ということについて、考えさせられる、読みやすい本だった。おれは今中高の教師だが、これを何とか生徒に伝えようとも思うのだけれども、一体いつの時期にこういう視点を見せてあげるのがいいのだろう、と思っている。(17/05)

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2017年5月19日
読了日 : 2017年5月19日
本棚登録日 : 2017年5月19日

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