偶然と必然―現代生物学の思想的問いかけ

  • みすず書房 (1972年10月31日発売)
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感想 : 19
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生物学者で、ノーベル賞も受賞しているジャック・モノーは、本書の執筆の動機を以下のように述べている。
「あらゆる科学の究極の野心がまさに人間の宇宙に対する関係を解くことにあるとすれば、生物学に中心的な位置を認めなければならなくなる。 ~ 私が明らかにしようと試みたのは、現代生物学の概念そのものより、結局はその≪形≫であり、またそれらの概念と他の思想の領域とのあいだの論理的な関係を明らかにすることであった。」
彼のスタンスは、養老孟司が言う、遺伝や脳などの側面から、人間の活動とその世界観を解き明かす「人間科学」と近い立場だと思う。
本書は、当時の最先端の科学者による、科学者の視点からの哲学批判・イデオロギー批判である。その主張は、40年経った現在読んでみても、色褪せてはいなかった。

注目したのは、上記の議論を展開している最終章、「王国と奈落」における、知識と価値の関係性についての考察。
モノーは、知識と価値は、行動や言説において分かちがたく結び付けられていることを指摘する。
社会主義などのイデオロギーや宗教においては、無反省にそれらの区別から目をそむける。
例えば、ヘーゲルの「歴史」あるいは、マルクスの「弁証法的唯物論」では、人類の歴史と宇宙の歴史とが、同じ永遠の法則に服従するものとする。
そこには科学的な根拠はなく、明らかに何らかの目的や意図(価値観)を背景に持っている。
(往々にしてそれらは、人間そのものや、神を認識できるものとしての人間を中心に捉えている。)

一方で、客観性を追求する科学的な立場では、知識から価値判断を徹底的に排除する。
ただし、科学的精神がよって立つこの「客観性の公準」の採用も、倫理的な選択であり、客観性という価値を前提にしてはいる。
とはいえ、こちらは、前者のようにおしつけがましく人間に迫ってくるものではなく、行動や言説の正真正銘さの条件として、人間自らが選びとるものなのである。
著者によると、現代社会は、科学による富と力を享受しながら、一方では、科学によって根元を掘り起こされた古い価値体系がいまだ蔓延しいている。
よって、非科学的な幻想を断ち切り、科学的な知識の倫理を受け入れて追及していくべきとしている。

以上が、本書にあった、科学的方法論からのイデオロギー批判の概要。
知識と価値という視点で、思想の背景を照らし、矛盾を指摘している姿勢は素晴らしいと思った。
ただ、科学的精神の勝利は、宗教を含む幾多のイデオロギー、すなわち既成の世界観・価値観の敗北を意味する。
これは、筆者も言っている通り、人間に対して胸苦しい不安、すなわちニヒリズムをもたらす。
結論では、科学的な知識による楽観的な見通しが述べられていたが、まさに科学では解決できない、価値の問題が今日的な課題であると感じた。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 哲学
感想投稿日 : 2011年8月21日
読了日 : 2011年8月21日
本棚登録日 : 2011年8月21日

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