万葉集とは7,8世紀を生きた日本人の声の缶詰である、という一文がとてもしっくり来た。仮に幾分かの作為や意図が混じっていようと、膨大な歌(文字)の中にはやはり往時の空気が詰まっており、古の日本の風景を垣間見る確かな証となっている。本文では歌の現代語訳と合わせて原文も併記し、祖先の言葉をなるべくダイレクトに伝える工夫がなされている。また、かな文字という独自の文字を持たなかった当時、言葉をどの様に表記し後世に残そうとしてきたかの苦心も、今日の日本語の成り立ちと特徴が見えて興味深かった。それを踏まえると、カタカナ語を多用する我々の癖も、それが日本語というものなのだという主旨にも納得。経国の大業として文章を遺すことは人が生きた証という曹丕の論旨が、数世紀後律令国家として産声を上げつつあった古代日本で、万葉集という果実として実ったという見方が出来、その繋がりも新鮮だった。
読書状況:読み終わった
公開設定:公開
カテゴリ:
評論・エッセイ
- 感想投稿日 : 2018年9月1日
- 読了日 : 2018年9月1日
- 本棚登録日 : 2018年9月1日
みんなの感想をみる