中上健次という作家の魅力は幾つもある。土着的な世界を1つの神話として現代に構築したその想像力、独特の文体、魅力的な人物造形・・・。しかし、その中でも最も僕を惹き付けるのは、やはり彼が自らの「血」の問題を徹底的に考え抜いて、小説の世界に昇華させた点である。
全ての芸術は完成した途端に作家の手を否応無しに離れていくことを考えれば、その作者の生涯と作品自体には何の関係もないと言える。にも関わらず中上健次の半生を追い、なぜ作家となったのかという点を描いた本書は、単なる伝記批評の枠に留まっていない。それは中上健次という作家の作品が、「路地」と呼ばれる被差別部落出身であり、「路地」を1つの可能性の中心として見ていたこと、そして、本書の著者である高山文彦がその「路地」の緻密な取材に基づき、中上健次という作家の核を描くことに成功したことにある。
これを読んで、親友の柄谷行人による彼の追悼文を読み返した。本書でも何度か泣いてしまったが、この追悼文でまた泣きたくなった。中上健次とは僕にとってそういう作家である。
「そもそも中上健次以上に「文学」を信じている奴はいなかった。私は、中上がいるから「文学」とつながっていたのだ。その逆ではない。ニューヨーク・タイムズで彼の死を知ったポール・アンドラが今日、中上はほとんど重力の無い環境に重力をもたらした、という手紙をファックスで送ってきた。その通りだ。私は今、重力の喪失を感じる。」
(柄谷行人 『坂口安吾と中上健次』pp196より引用)
読書状況:読み終わった
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カテゴリ:
日本文学
- 感想投稿日 : 2013年1月16日
- 読了日 : 2013年1月11日
- 本棚登録日 : 2013年1月6日
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