爆笑問題と考える いじめという怪物 (集英社新書)

  • 集英社 (2013年5月17日発売)
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本棚登録 : 146
感想 : 23
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あらゆる角度から「いじめ」について考えさせてくれる本だった。
「自分はいじめっこである」という太田光さんの告白は衝撃的ですらある。本当のことだけど誰しも認めたくない事実。自分の中にも「異質なものを排斥したい」という感情があることを正直に認めているからだ。
「いじめ問題」に特効薬はない。結局は人間関係の問題だから。誰かと誰か、そしてそれを取り囲む人々が作り出す雰囲気、環境、そういうものがいつのまにか「いじめ」を生み出す。
また「いじめ」と称される行動の中には、すでに犯罪の領域に達するものもあり(暴行、脅迫、恐喝など)、そういうものをひっくるめて「いじめ」として扱うのもそろそろ無理があるのではないかと思う。
犯罪行為にまで発展してしまうのはなぜなのか。
どうして被害者が命を絶つ事例があとをたたないのか。
「いじめ防止対策推進法」が制定されたが、それがどれくらいの効果をもたらすだろう。
本書の中に「自殺も形を変えたいじめの一種である」という一文があった。いじめられている現実に耐えかねて死を選ぶ人もいるだろうが、自分が死ぬことでなんらかの復讐に代えたいという願望もどこかにあるのではないか。おおむねそういう願望は叶わないものなのであるが。

本書と「反省させると犯罪者になります」という本をあわせて読むと、ひとつの方法が浮かんでくる。
「された方の気持ちを考えなさい」という反省を強要する方法ではいじめはなくならないのではないか、ということである。
なぜ自分は他者を攻撃するのか。ばかにするのか。無視したくなるのか。そういうことをきちんと追求する自省の習慣を身につけることが必要なんじゃないかと思った。
ストレスにせよ、寂しさにせよ、あまりにも自分の感情の本体を知らない人が多い。
いじめられることに正当な理由はないが、人の攻撃欲を刺激する何かを持っていることもある。他者を攻撃したくなったときには、自分が何に反応しているのか自問自答することも大切なのではなかろうか。

そして、そういうことができるような人間にするのが、たぶん「教育」の大きな目標だと思う。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 新刊
感想投稿日 : 2013年6月22日
読了日 : -
本棚登録日 : 2013年6月22日

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