1999年、アメリカのコロンバイン高校で在校生2人が銃を乱射、
あわせて13名の生徒と先生が殺害された事件を題材とした作品。
ほとんどの生徒が抱えるリアリティの喪失したリアルは、
すれ違いこそすれ、交錯することは滅多にない。
たくさんの友達が集う学校でさえ、いたずらにやり過ごされる。
そんな無為は、10代が大人になっていくための、重要で静かな過程である。
ガス・ヴァン・サントは、そんな想いをひとりひとりの「歩く」シーンに込めた。
執拗とも思えるほど、徹底的に長尺で科白なしでただ歩く生徒たち。
大人への静かな成長と歩く行為をたぶらせつつ、
歩く生徒たちひとりひとりの表情をドキュメンタリー的に追うことで
無為の過程を描いている。
そして、同じく10代のこじれた無為の営みによって
他の無為の営みが強制的に寸断され、この上ない惨禍を生む。
ちょっと種類は異なるが、ソフィア・コッポラが「ヴァージン・スーサイズ」で描いた、
10代特有の彼岸と此岸の混在に、通底する哀しみがある。
大きく違うのは、そこに火器が介在するか否かだ。
きっと、被害者と加害者の違いは、恐らくミリ単位だ。
だからこそ、その哀しみは比類ない。やりきれない。
読書状況:読み終わった
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カテゴリ:
シリアス
- 感想投稿日 : 2013年7月2日
- 読了日 : 2013年7月1日
- 本棚登録日 : 2013年6月30日
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