沙中の回廊 上 (文春文庫 み 19-14)

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  • 文藝春秋 (2004年12月7日発売)
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前630年頃。士会の話。随を領地としたので随会ともいい,後に范を領地としたので范会ともいう。士蔿の孫で晋の正卿となった人で,途中,秦に亡命し秦の臣として引き立てられた時期もあった。先軫,先且居とならぶ晋の名将軍。
文公(重耳)の漂流時狐偃,先軫が中心であり,士氏は司法家のため恵公(夷吾)がに従わざるを得なかったため重耳の帰国後は不遇でした。武術,外交面で優れているところを先軫に認められ,やがて文公の目にも止まり,車右に抜擢され,緩やかではありますが昇進を続け,最終的には宰相まで登りつめます。
晋の宰相である荀林父が首座を位2位の郤缺に譲った時の話。
反逆者(郤缺は一度晋公を攻めて殺している一味にいた)の子は宰相になれぬと言っていた郤缺が徳を積み続けて遂に人臣の最高位に登った。士会は我が事の様にうれしい。さっそく賀辞をたずさえて郤缺邸に行った。郤缺は士会を見つけると,席を降りて鄭重な礼容をしめした。士会が客席に座るや,満堂の族人に『隨会どのは私の命の恩人であり(郤缺は晋公を攻めた時に瀕死の重傷を負ったが,士会は郤缺とはしらず助けていた),子の克を隨会どのに仕えさせるつもりである。旗鼓(軍事)のことは一族をあげて隨会どのに従う。』と大声でいいきかせ,士会にむかって低頭した。するとすばやく席をおりた士会は『旗鼓は徳にまさることが出来ない。わたしは郤氏の徳に従う』と言った。このあたりの士会の人を思いやる感じが好きだ。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 中国史
感想投稿日 : 2008年10月31日
読了日 : 2008年10月31日
本棚登録日 : 2008年10月31日

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