淳 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社 (2002年5月29日発売)
3.66
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本棚登録 : 422
感想 : 43

1997年に起きた「神戸連続児童殺傷事件」で当時14歳の少年によって我が子を奪われた父親が綴った手記。

私の拙い文章の書評という形では、とてもまとめきれない、表現することもできないが、書評を書いて誰か一人でも多くの人の目にとまり、少しでも多くの人に改めて関心をもってもらい(決して単なる興味本意ではなく)、この事件について、少年犯罪、少年法について、報道被害について、被害者の権利や人権について、もっともっと深刻に我が身に置き換えて考える必要があると考えた。

本著の構成は、被害者の淳くんの生い立ちから、「おじいちゃんとこ、いってくるわ」の一言を残し、永遠の別れとなってしまうことになってしまった事件当日から、行方不明者として捜索された三日間の家族や親族の気持ちや行動、無惨な姿となって発見された当日、犯人捜査から犯人逮捕、A少年の母親や弁護士に対する不信感、報道犯罪ともいえるほどの報道被害、被疑者の人権しか守られない少年法(2000年11月に若干の改正が行われるので、本著では改正前の少年法について)、1999年に山口県光市で、妻と娘の命を当日18歳の少年によって奪われた、木村洋さんによる本著の解説という形で締められている。

何の罪もない純粋な淳くんが、少年Aの全く理解できない実験や興味本意からくる行動によって、残虐に殺されただけでなく、そのあとにも無惨な姿になるまで酷いことをされるという被害にあってしまう。

それなのに、守られるのは被疑者である少年Aだけ。国選弁護人がつけられ、裁判も行われることがなければ(少年審判は行われる)、被疑者の家族であっても審判を傍聴することもできなければ、供述調書を閲覧することもできない、どういった状況で被害を受けたのか、加害者はどのような人間なのか、全く知ることもできない。

その一方で被害者の関係者は、マスコミからは実名報道だけでなく、家族の職業や、兄弟の通う学校、あることないこと断りもなく、どんどん報道されていく。
毎日毎日、自宅の前には報道関係者が張り込み、わざと感情をあおるような質問をしてでも、こちらが反応して出した言葉を都合よく編集して報道する。
本当に報道犯罪というべき二次被害にあってしまう。

被害者救済を二の次に置き、少年犯罪者の更生のみを前提とする少年法とはいったいなんなのか、少年法の趣旨を頭から否定するわけではないが、窃盗や軽微な非行と、強姦や殺人、傷害致死のような重大な犯罪を同じ少年法をかざして守るべきなのか、大いに考えさせられた。
また、マスコミや報道のあり方、報道される情報を受け取る視聴者側も、もっと被害者の気持ちや人権を自分事として感じられる『心』が必要なのではないか。

本著は、少年法改正、報道関係者による傍若無人な取材方法、被害者家族の会の発足に関して、大きな足掛かりになったようだ。
悲しいかな、この事件が起きたことによって、世間は多少良い方向に変わった。
大切な我が子の命を無惨にも奪われ、事件の実態は知らされず、報道によって人権は無視された著者を代表とする関係者の皆様にとっては、表現することのできないほど大きすぎる代償だった。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2015年9月13日
読了日 : 2015年9月13日
本棚登録日 : 2015年9月13日

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