おどろきの東京縄文人 (世の中への扉)

著者 :
  • 講談社 (2014年7月16日発売)
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2012年2月、東京都新宿区市ヶ谷加賀町二丁目から人骨が掘り出された。埋まっていた層から明治時代以降のものかな、もっと近年で殺人事件だったら大変だなあ…、ところが調査の結果、なんと縄文時代のものではないか!

都心のど真ん中のこの地域は、江戸時代には武家屋敷が建っていて江戸時代の遺物は多く出てきていた。そして木造の武家屋敷を建てるには地面をあまり深く掘ることがない。そのため人骨がそのまま保存されていたようだ。

出てきたのは10体の人骨。
各専門家チームが調査を行う。
この本では、それぞれの専門家がそれぞれの調査方法を行っていく過程、その専門家たちがなぜその仕事についたのかも書かれていく。
 酸性の土壌では人骨は溶けてしまう。ではなぜ縄文時代の骨が残っていたのか?
 10体の年齢、性別、食べていたものは?
 埋められ方から、当時の生活や、死生観がわかるか?
 人骨のレプリカから、どんな顔立ちだったか復顔してみよう。
 日本の他の土地で掘り出された縄文人との繋がりはあるのか?

9体は縄文後期のものだが、1体だけ縄文中期のものがあった。おそらく遺体を埋めるために穴を掘ったら人骨が出てきたので一緒に埋めたんではないか、と予測する。このときすでに遺体、骨を尊重していたと感じられる。

そして掘り出された東京縄文人のなかでも1体だけ埋葬方法が特別だった。遺体をまっすぐ寝かせたり人骨の周りを他の人骨で囲んだり。そこでこの人骨は特別なリーダーと思われる。
さらにこのリーダー(仮)は、他の縄文人たちとは食べたものが違ったり、千葉縄文人が持っていたイルカの骨の飾りをつけていた。どうやら東京縄文人と千葉縄文人には交流があったのだ。このように、ムラを創っていた縄文人たちは、食べ物や生活が違っても離れたムラと物々交換したり、結婚したりしていたんだろう。


現代の我々の生きている地面の少し下に何千年も前の人々の痕跡がある。当時はどんな土地だったのか、どんな人達が住んでいたのか。
過去を思い、知ろうとして、自分たちがその上で生きて、未来に繋いでいく。考古学、歴史、地質を学ぶというのは未来につなぐということ。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 歴史・伝承
感想投稿日 : 2023年9月2日
読了日 : 2023年9月2日
本棚登録日 : 2023年9月2日

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