どくとるマンボウ航海記 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社 (1965年3月2日発売)
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5

医者の私はドイツに行こうかなーなんて思っていたが留学試験で落とされた。なんてこったい、それなら別の手段を考えなければ。
ということで1959年に水産庁の漁業調査船に船医として乗り込んだ。5ヶ月半の航海で、アジア、ヨーロッパ、地中海まで回る、マグロだって食べられるし、嫌になったら港で逃げ出せばいいじゃないか。

この航海の様子から大切なこと、カンジンなことをすべて省略し、くだらぬこと、書いても書かなくても変わりはないが書かないほうがいくらかマシなことをまとめたら本になった。



軽い語り口で、ユーモアというか悪ふざけたっぷりの航海記録だが、停泊した地での体験は、時代や国の様子が伺える。

停泊地で一人でフラフラしていたら、寄ってくるのはポン引き、物売り、そして女性関係。
女性のお話は事欠かない。
船員さんは「船員は海の上で空想的に女を想うから性欲と言っても半ば空想的なもので肉体的なものではない。家庭的なものを求めるし、もし海員ホームに女がいて言葉だけでも買わせる憩いがあれば、性を求めるなんて少なくなるでしょう」という。
しかし船を降りたら「IPPATHU YARUKA?」と声をかけられて以前の日本人はなんて言葉を教えたんだと思ったり、飲み屋でけばけばしい女性が来て辟易していたら思いの外慎ましかったんだとか、港港での経験があったようだ。

医療の方は、「診察時間は9時から14時」という羨ましい勤務。「歯の底を破って膿を出すなんて芸当はできぬし道具もない、道具があったとて、私は頭蓋骨に穴を開けて脳の一部を切る手術ならやるが、歯医者のような野蛮極まりない真似はとてもできぬ」なんて言っているが、船酔いや歯痛、虫垂炎、他の船や停泊地の患者を診たり診られないから病院に回したり。
日本人は気前がいい…というかちょろいと思われているのか、他の国の人が日本の船だと分かったら「オミヤゲ・クスリ」を要求されたり、病気かと思って与えてみたらどうやら転売用?!などということも。
しかし著者のコミュニケーション能力もかなり高いだろう。
ポルトガルでは馬を借りて観光したら若者が勝手に案内してくれたんだがお互い全く言葉が通じない。
しかし若者はこっちが言葉が通じないのをわかっているのに話を続ける続ける。だから自分も日本語で喋り続けた。若者が松の説明らしきことをすれば、「あれは松だ。日本にもたくさんある。ポルトガルにもあるんだな」などとお互いにまったく違う言語で喋りあった。するとむしろ会話がスムーズになった。黙ってチンプンカンプンの言葉を聞いているくらいなら、判らないなりにペラペラ喋ったほうがコミュニケーションが通じるんだ。
ドイツでは、トーマス・マンの生家で「ブッデンブロオク一家」の原型である古い家を訪ねたんだが、ドイツでは「彼はドイツ人じゃないから〜」などと言う連中がいて、プンプン!と怒ってみたり、
語り口は軽いんだがかなりの行動力だ。

マグロ漁の方法や、海によって生息するマグロの違いなども語られる。
紛れてサメも連れてしまうんだけれど、この頃サメは船員にとっては嫌われていて、腸引き裂いて海に捨ててしまう(食べないのか!)。まあそんなサメは実は臆病で人間がいるとそうそう近づいては来ない。
自称することになる「まんぼう」は、まさに「何か変てこりんなもの」という感じで、海をぷ〜ぷ〜か浮かんでいる。

航海が1959年のため、戦争の記憶も残っている。
南洋では案外日本語や日本人を懐かしがられて「日本は次はいつ来るんだい」などと聞かれた。
しかしユダヤ人の凄惨は戦後もなかなか変わらないようだ。他の日本人の話になるが、ユダヤ人は陰鬱な目をしてはじめはなかなか打ち解けないが、一度友情を覚えると身をもたせかけてくるという。しかし彼らの警戒心は仕方ないと思っている。北杜夫の友人が勤めていたNYの病院で、国籍不明の精神病患者がユダヤ人とわかった途端に各国の医者たちがそっけない態度になったという。

基本的に明るい語りなのだが、戦争経験のためか全てを無くすことを怖がっていられない様子や、作者の躁鬱病(別のエッセイで色々と)らしさや、変わり者一家(他の小説やエッセイで色と)の気質を感じられるような、ところどころでドキッとする描写もあり。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: ●日本文学
感想投稿日 : 2021年4月24日
読了日 : 2021年4月24日
本棚登録日 : 2021年4月24日

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