生物学の美しさ、識ることの楽しさを伝えたいという科学エッセイ。
副題が「感動する生物のはなし」だけれど、科学とは物理学、科学、生物学、地学などが絡まり合ってできている。
かつてはダ・ヴィンチのような「万能の天才」がいたが、現在のように科学の範囲が広がっては一人ですべてを網羅することはもう不可能だ。でも視野を広げ、その知識で人生が楽しくなれば、識る価値はあるだろう。
地球の生命とは何かという定義には、「外科医と膜で仕切られている」「代謝を行う」「自分の複製を作る」としている。
しかしこの生命の定義も時代によりそれぞれだった。
レオナルド・ダ・ヴィンチのころは、「地球は生物」という考えがあった。生物の血液と骨が、地球の水と岩石など。
この考えって、昔の人達が神話や民話で太陽や海が生きていて、意思があったりたまに揉め事起こしたりもする、ということとで出ているのかなと思った。
SFなどで「人類が人工知能に滅ぼされる」というものがあり、シンギュラリティ(「いままでのルールが使えなくなる」という意味。この場合は人工知能が、自分たちで優れた人工知能を生み出すというその時)と呼ばれている。
生命は複製を作るが、全く同じではなく少しずつ変わってゆく。すると生命の歴史においての自然選択や淘汰とはまさに「シンギュラリティ」であったともいえる。
地球環境にあった進化を遂げて、ついていけないものがいなくなるのは残酷ではあるが、そうして変わってきたからこそ40億年ものあいだ生命が存続したとも言える。
科学者たちが唱えてきた「進化」は、生物の優劣をつけるものではない。その種族がそこに住むための特長が世代を超えて伝わる変化したのであり、それを考えると人類の体は陸上生活にはそれほど適していない。
生命が続くのに必要なのは「多様性」だ。一つのウィルスにみんなが弱ければ全滅してしまうから、いろんな耐久を持った存在があったほうが生き残れる。
しかし人類は、地球生物始まって唯一の直立二足歩行の生物で、現在の人類は一種類しかいなくなっている。
人類がなぜ直立二足歩行になったか、というと、理由の中の一つに手が自由に使えて、餌を持って帰れるということもあるだろう。
それが家族を養うという生活様式に繋がった。
さらに他の動物達が戦いで使う牙を退化させた。それを考えると人類の現在の姿は平和的な変化であるはずだという。
- 感想投稿日 : 2021年5月4日
- 読了日 : 2021年5月4日
- 本棚登録日 : 2021年5月4日
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