人前で物事を発言する際のマナーというものがある。しかし、個人的な日記など、自分が自分に対してだけ発言することにまつわるマナーは特にない。マナーを守って共感を得るか、好き放題に立った一人で考えるか、どちらがいいとは言えないけれども、「誰にも言わない」ことの内実は、大半が降らないが、たまに豊かで、常に自由である。必ずコメントを付けてくれる先生は、もういないのだし。(p.39)
相手に無用の緊張を与えないためにも、どんな語彙も平板に発音するよう心がけ、例えば、テポドン、といったような語彙も、普通に最初の音節を高く発音すると深刻で、嫌な気持ちになるので、これも平板に、牛丼というのと同じ調子で平板に発音するべきで、そうすることによって嫌な気持ちが薄らぎ、その結果、誰も責任を取らなくてよい、明るくリラックスした楽しい社会が実現したような気分になれるのである。(町田康p.47)
当たり前ではあるが、ラジオは音のみで表現しなくてはならないので、「実家から、こんなに大きいジャガイモを送ってきた」と身振りで喋ったとしても伝わらないので「実家から木魚ほどの大きなジャガイモを送ってきた」など比喩を使ってリスナーにその大きさを想像してもらわなければならない。
しかしながらゲストで来るミュージシャンなどはそんなことまで考えてくれるはずもないので「この前、このぐらいのカナブンがいて!」と興奮気味に話している、その横で即座に「ほう。500円玉くらいの」と比喩して、さらに「それが、ここに飛んできて!」と盛り上がるゲストの話を止めないようにして「ほう。鼻の下に!」と解説する必要がある。(劇団ひとりpp.214-215)
面白い話などなくても、人は息をしているだけで笑える。馴れ合うのではなく、いつも初対面のつもりで息をのむ。二話目っこもそうだが、何もしない顔というのが一番面白い顔で、ただ見ているだけでも「ぷっ」とふき出せる。(高橋秀実p.239)
もともと地上に道はない。歩く人が多くなれば、それが道になるのだ。—この魯迅の名言の中の「道」は、理屈など関係なく、幾分マナーに通じるのではないかと、そんな気がしてきた。(楊逸p.296)
- 感想投稿日 : 2017年10月8日
- 読了日 : 2017年9月21日
- 本棚登録日 : 2017年9月21日
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