・覚りには、理論だけで到達することが難しく、師について瞑想をしたとしても、覚れる人は決して多くない。それだけ自我の拘束は、強いのです。
どのような道であっても、書物から学ぶことのできる知識と、師からしか学ぶことができない暗黙知や技があるわけですが、意外にも、仏教にも、その事実が当てはまることを突きつけられるような内容でした。
また、たとえ優れた師に学んだとしても、それまでに身体に染み付いた自我という固定観念を捨てることができなければ、習得することができない境地があることも思い知ることになりました。
釈尊が自らの力で到達した覚りを乞われるまで伝える気持ちがなかったという話も、真実味が増してくるのです。覚りには、理論だけで到達することが難しく、師について瞑想をしたとしても、覚れる人は決して多くない。それだけ自我の拘束は、強いのです。
仏教は、個人や社会を導きうる思想なのに、そうならないのはなぜか、それは仏教の伝来がゆがめられ、仏教自身が生き残るために、思想としてではなく、ある意味、様式を示すビジネスになってしまったからかもしれません。
読書状況:読み終わった
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カテゴリ:
人文科学(心理学・哲学・思想)
- 感想投稿日 : 2020年4月29日
- 読了日 : 2019年4月28日
- 本棚登録日 : 2020年4月29日
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