ポスト戦後社会: シリーズ 日本近現代史 9 (岩波新書 新赤版 1050 シリーズ日本近現代史 9)
- 岩波書店 (2009年1月20日発売)
このタイトルの<ポスト戦後>を述べるとなれば、戦後は何時終わったのかを考えねばならない-と著者は先ず語る。
だがこれについての共通意見が現在確立している訳でもない。
「もはや戦後ではない」とは1956年の経済企画庁『年次経済報告』だが、これは55年から始まった高度成長政策により、戦後の<復興>から、新しい経済成長時代に転換したことを宣言したものだろう。
しかしまたメディアなどで「戦後60年」と言われたのは,21世紀になってからだった。
歴史と文学は時差があっても当然かもしれないが、例えば思潮社の『戦後詩選』(06/6)で、編者のひとり大岡信は次のように考える。ひとつは大阪万博,そして翌年の三島由紀夫の自衛隊乱入と自殺。つまり70年初頭で<戦後>は終わったのだ。
で、実は本書も似たようなくくりをしている。「はじめに」に掲示している表は,戦後社会を1945年から70年代前半とし、ポスト戦後社会を70年代後半から現在までとする。
沖縄復帰が72年5月で、これにより米軍の日本占領はすべての地域で完了したのだから、この辺りは妥当なのだろう。
しかし安保条約により米軍が、日本国土を軍事的治外法権的に占拠している問題の解決はまだついてないが。
目次は次のとおり。
1-左翼の終わり
2-豊かさの幻想のなかへ
3-家族は溶解したか
4-地域開発が遺したもの
5-「失われた10年」のなかで
6-アジアからのポスト戦後史
この一冊はシリーズ「日本近現代史」の最終の第9册にあたる。そして歴史とともに,現在只今の事象を書くということは、なかなか難しいように見えた。 そして「おわりに」として<ポスト戦後史のかなたへ>という一節の最後に著者はこう書く。
「<グローバル>という地平には包摂され得ない無数の人々の声や心情が,一体化する世界といかに結びつき,新しい社会のどんな歴史的主体を可能にしていくかに、21世紀の歴史は賭けられている」
この展望で,今後の時代の潮流が辿れることを強く期待したいものだ。
- 感想投稿日 : 2016年9月6日
- 読了日 : 2009年9月
- 本棚登録日 : 2016年9月6日
みんなの感想をみる