偶然と必然―現代生物学の思想的問いかけ

  • みすず書房 (1972年10月31日発売)
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合目的性/自律的形態発生/不変性

人間中心主義の批判
人間の必然性/整合性への欲望

淘汰が行われるのは巨視的(生物)のレベル、それよりミクロな状態では(仮借なき)必然性の国に入っていく。

初期の進化論(スペンサー):<生存競争>という残念な概念を用いる
ネオ=ダーウィニズム:淘汰の決定因子は生存競争ではなく、種の内部における増殖率の差
現代生物学:あるタンパク質の構造の変化という形で現われる<新しさ>はすべて、第一にその新しいタンパク質の属する系全体と両立しうるかどうかという点にかんして試験される。しかもその系は、生物の持つ目的を果たすための無数の統制条件によって前もって縛り付けられ、勝手にはできなくなっている。従って受け入れられる突然変異というのは、合目的的装置の首尾一貫性を低下させてはならないだけでなく、むしろ起こっている変化の方向に即してこれを一層強化するか、あるいはまたーそれよりずっとまれな事であるがー新たな可能性を開くといったぐあいの突然変異でなければならない。

偶然から生まれた試みを一時的にせよ、永続的にせよ受け入れるか排除するかを決める初期条件を与えるのがこの合目的的装置。突然変異が現れたときに一番早く作用。
淘汰によって判定されるのは合目的的性能であり、建設的/制御的な相互作用をもつネットワークをもつ諸特性の全体表現。
→進化自体がある企て(先祖の夢を延長し、そして拡大する企て)を成し遂げつつあるように見える。
※淘汰の圧力がかかるのは集団に対してであって、個体に対してではない。

進化の不可逆性は熱力学第二法則の一つの表現とみなすことができる。〜逆向き運動は複製によってつかまえられ、淘汰によってふるい分けられる。〜進化は一種のタイムマシンといえる。

淘汰:外的条件と選択(分離できない形で同時に初期条件に含まれる)
ちょっとした初期条件が進化の原因になっている事がある。
手段が目的化していく(繁殖成功のための装飾〜装飾そのものの完成へ目的が変化)/価値判断は関係なく、「自然な」現象?


言語:人間の特異な特徴
進化の産物、そして初期条件
言語→知性という価値の増大
〜言語を持たないものに対する自然淘汰の圧力

チョムスキー:全ての言語に共通する<形>
失語症

未開拓分野:進化の両極
①原初生物システムの起源
その背後には深遠な問いーこの出来事が実際起こる以前には生命の出現の確率はどれくらいあったのだろうかーに対する答えが含まれている。宇宙のの中で起こりうるあらゆる出来事の先験的な確率はゼロにちかい。しかし実際、人間は誕生した。
②最高度に合目的的なシステム(人間の中枢神経系)

我々のなかにある見かけの二元論は幻想であることを認めざるをえない。しかし、この二元論は我々の存在自体と密接に結びついているので、主観をはっきり理解することでこれを消し去ろうとしたり、それなしに感情/道徳的に生きることを学ぼうとしても全くの失敗に終わるだろう。

王国と奈落
具体的な自分の当面した経験だけでなく、主観的経験や個人的趣味レーションの内容まで表現できるようになった日からあらたな思想/観念の治世が誕生した。(=文化の進化が可能になった)

淘汰の圧力はだんだん弱められ、自分の仲間以外には敵はいなくなった。(他の動物にはみられない)〜人間の場合にはスペンサー
の<生存競争>が有効。
人間の場合にはーまさしく人間の高度な自律性ゆえにー行動こそが淘汰の圧力を方向付けている。行動が自動的だった段階をすぎて文化的なものになってからは、文化的特徴そのものが遺伝情報の進化に対して圧力を及ぼすことになった。(ある時期まで)
今は文化的進化の速度が速かったため、遺伝情報の進化と文化的進化とは完全に分離される。
現代社会の中で淘汰がなお作用しているところでは、それは<適者生存>ということに有利に働いているのではない。子供を増やす事で<適者>が遺伝的に生存するというようなことに淘汰が有利に働いているのではない。(知識/野心/勇気/想像力など個人的成功と遺伝的成功は別)

人類を改良するただ一つの手段としてはただ熟慮した上で厳格な淘汰を実行する事があるだけであろうーだれがそのような手段を用いることを望むのか。

「魂の病」:自然は客観的であり、真の知識は論理と経験を組織的に突き合わせられて得られる、という思想から生じる。
思想の進化/生物の進化
ある思想の性能価値:それを採用する個人なり集団なりにその思想がもたらす行動の変化による。→人間集団の団結/野心/自信の高まり→従来以上の勢力を拡大→思想そのものの地位向上(客観的真実の内包とは必ずしも関係ない)
浸透力〜性能を発揮する力

浸透力:分析しにくい
最高の浸透力をもった思想は人間が占めるべき地位を内在的な運命ーその懐に抱かれれば人間の不安は解きほぐされていくーのなかに割り当てる事で、人間というものを証明する。

神話説明の必要性:
我々は何か説明を付けずにはいられない気持ちと胸苦しい不安に駆られて、実存の意味を否応無しに探し求めようとしているのであるが、おそらくこれらは遺産として受け継いだものなのであろう。

この胸苦しい不安こそ、全ての神話、宗教、哲学、科学を生み出した。
文化/神話:人間が自動性に屈する事なく社会的動物として生きながらえるために支払わなければならなかった対価

人間の不安を埋めつつ掟を確立させる目的で作られた<説明>はどれもこれも<物語>であり、より正確に言えば個体発生的であることは容易に理解できる。原始的神話のほとんど全ては多少とも神的な英雄について語っている。

マルクス/ヘーゲル:説明的かつ規範的な個体発生
マルクス主義の絶大な影響力:人間の解放を約束したことだけでなく、個体発生的構造と、そこに述べられている現在/過去/未来についての完全かつ詳細な説明に由来。

現代社会は科学が発見した富と力を手に入れた。しかし科学がもたらしたもっとも奥深い伝言を受け入れなかった(物活論、相対主義的、普遍的真実の存在の否定の事?)
その伝言とは新しい、そして唯一の真実の源泉を定義することであり、倫理の基礎の全面的再検討と物活的伝統からの完全な絶縁を要求することであり、<旧約>を決定的に放棄することであり、<新約>をつくりあげる必要を説く事であった。

科学による富と力で武装し、科学によって既に根元を彫り崩された古い価値体系にのっとって生活を続ける/という分裂

物活論の伝統は価値/道徳/義務/権利/禁止の基礎を神話的ないしは哲学的個体発生に求めていたのであったが、科学はこれらをすべて討ち滅ぼしつつある。

この伝言に含まれている全ての意義ともども受け入れるならば、<人間>はついに古来の夢から目ざめて、自らの完全な孤独を、みずからの根元的な異様さを発見するはずである。今や彼はまるでジプシーのように、自分の生きるべき宇宙のふちにいる事をしっている。宇宙は彼の音楽を聴く耳を持たず、彼の苦悩や犯罪に対してと同じく、彼の希望に対しても無関心なのだ。

価値は彼に属していたのではない。価値の方から押し付けて来たのであり、人間の方が価値に属していたのである。彼はいまや価値が自分だけのものなのだと知っている。そしてついに価値の主人となったために価値が宇宙の無関心のむなしさのなかに溶解していくような感じを受けるのである。

客観的真実と価値の理論とが互いに無縁で、相互浸透できない領域を永遠に形作っているというのが頼みの綱?ー現代思想家の大部分が取っている態度。

容認不可能
倫理と知識とは行動の中で、行動を通して、不可避に結びつけられている。

正真正銘性の探求は必然的に相対主義に行き着く。ー支離滅裂ではない夢としてのユートピア

「彼の運命も彼の義務もどこにも書かれてはいない。彼は独力で<王国>と暗黙の奈落のいずれかを選ばなくてはならない。」

<感想>
すごく読みやすかった!色んな教授がすすめている本。
最後の章が一番面白いけれど、だいたいは絶対主義的な(一応物活説とされている)ものの批判。
手段が目的化していく過程そのものがまさに自律性の形成ともいえるのだろうか。
また、人類、祖先の共通の目的とはなんだろうか。
言語が人間に与えられた高等な技術だとして、現代では人を傷つける言葉や不毛な言葉の多さが、言語自体の価値を低下させている気もする。ヴィトゲンシュタイン以降、語り得ぬものは語らないといわれて、それでも足踏みする方法をベケットが開発したとしても。やはり言語であふれた暮らしよりは静寂に憧れる。それは問題であるなどという価値判断を含むものではなく、自然な流れなのかもしれない。ただし、そこに至るまでには言葉がまた、必要である。

人類共通の夢とは相対主義的な考えの浸透ーつまり共生だろうか。
久しぶりに熟読させられた。わたしはそれでも奈落をえらびたい!

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: complex system
感想投稿日 : 2013年1月11日
読了日 : 2013年1月11日
本棚登録日 : 2012年12月29日

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