アメリカひじき・火垂るの墓 (1968年)

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めりけんアネルギーを抱えて生きる“焼跡闇市逃亡派”の鎮魂碑

 神戸での空襲体験を描いた野坂昭如の「アメリカひじき」を紹介しよう。野坂は一九三〇年生まれ。中学三年生の時、神戸を焼き尽くした空襲で養父母を失い浮浪児生活を送る。
 「空襲をうけて、肉親を、焼け跡と、それにつづく混乱の中に失い、ぼくだけが生き残った。やがて少年院に人り、飢えと寒さのため、つぎつぎに死ぬ少年たちの中でぼくだけ、まるでお伽噺の主人公のごとき幸運により、家庭生活に復帰し、ここでも、ぼくだけが逃げた。(略)やはりうしろめたい」
 妹を亡くしたいきさつは「火垂るの墓」に描かれているが、この作品もまた、うしろめたさの鎮魂碑である。
 主人公・俊夫の家庭へ、妻がハワイ旅行をした時に知り合ったアメリカ人ヒギンズ老夫婦が訪ねてくる。俊夫に、二十二年前の敗戦直後の記憶がよみがえった

チーズやハムに混じった黒い糸屑は何だ?

 連合艦隊も零戦もなくなった頼りなさ、焼跡の上にギラギラと灼きつく炎天のむなしさ、その空を飛ぶ三機編隊のB29から数えきれない落下傘が降ってきた。その物資をくすね、町内会で平等に分配したが、チーズやハムに混じって、どう料理していいかわからない黒い糸屑があった。
 ひじきに似て『いるからと同様に調理して食べたが、ねちねちしてまずい。後でそれがブラックティ (紅茶)と知った時は、どの家もアメリカひじきは食べた後だった。
 中之島で米軍相手にボン引きをしたこともある。米軍と女を引き合わせ口賃をしせめた上に、米軍からもらったチョコやハムを金にかえるルートを女に教えて再び口賃をもらう、ボロい儲けだった。
 そんな敗戦直後のことを次々と思い出す俊夫に、妻は「昔の戦争をほじくり出して、八月十五日の記憶をあらたにするなんて、いやね。苦しかったことを自慢してるみたいで」と言うのだが。

“不治の病い”が、戦後のエネルギーに?

しかし、空港でヒギンズ夫妻を出迎えた俊夫はいつしかヒギンズを銀座に誘い、頼まれもしないのに翌日コールガールを紹介する約束までしてしまう。
 ヒギンズは、やたらと酒が強く、女の扱いも上手い。「なんでまた俺は、あの爺さんにこんなサービスをせなならんねん」。進駐軍にギブミーチョコとねだった記憶が重なり、あの時の礼のつもりでヒギンズにすしや酒をおごり、ボン引きまがいのことまでしているのか。
 「ヒギンズはやがてかえるだろう、だがヒギンズはかえっても、アメげカ人は一生俺の中にどっかと居坐りつづけるにちがいない。これは不治の病いのめりけんアレルギーやろ」と俊夫はうめくのだ。
 戦後生まれの筆者には理解できないが、がむしゃらに働いて戦後の日本を経済的に繁栄させたのが、この世代の、めりけんアレルギーなのだろうか。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 日本ー文学
感想投稿日 : 2012年12月9日
読了日 : 2012年12月9日
本棚登録日 : 2012年12月9日

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