新訳 十二夜 (角川文庫)

  • KADOKAWA (2011年10月25日発売)
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感想 : 15
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『お気に召すまま』の流れをくむ、誤解が誤解を呼ぶ喜劇。
膠着した人間関係の中に、遠い異国の国から突如として流れ着いた不思議なひと。その正体は虚構で作り上げられた、実在するも実在しない逆説的存在。そんなひとの登場によって、イリリアのふたりに新たな風が巻き起こる。
誤解が誤解を呼び、目まぐるしいまでのことばの渦が沸き起こる。もうこれ以上いったら何もかも壊れて悲劇が訪れる。その瞬間に快刀乱麻、虚構の魔法が解かれてすべて喜びの世界が訪れる。
たった一瞬で悲劇が回避され、喜劇となる。喜劇と悲劇は同じものの裏表で、その思考から生まれるものなのだと知る。まさにwhat you will ということ。
解説というよりかは感想では、この十二夜について、キャスティングの難しい劇だと述べていた。見ての通り、この劇を成り立たせているのは、よく似た双子の兄妹という存在だからだ。実際にシェイクスピアが書き上げた当初、この劇がこの通りに上演されたかはわからない。しかし、おそらく、劇団はキャスティングに悩むことなく、劇は行われたものと思われる。
劇とはそれ自体が虚構である。だから、役者が実際にその役通りの人物かどうかは二の次の話である。たしかに、虚構をより見抜けぬように本物に限り無く似せるということは、観客に夢を与え、それがとけた時の効果は一層強いものとなる。しかし、観客は劇場にわざわざ足を運ぶのである。はじめから、虚構と知って劇を見るのである。したがって、どんなに本物に似せようが、似まいが、役・筋書きが確固たるものとしてあるのなら、関係ないのである。年齢や性別がどうであれ、役が演じられるのであれば、理論上関係ないはずだ。それが、本来の演劇ではないのか。
役がよく似た双子の兄妹ものであり、筋書きがふたりを取り違えるのであれば、実際に少年のような双子でなくても、そうなってしまうのが演劇の力だ。だからこそ、道化のような存在が常に傍らにいて、警鐘を鳴らしている。映像化でこの劇が失敗するのは、ひとえに役者とそれを役として受け入れぬ、観客の問題であると言える。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 物語
感想投稿日 : 2015年12月3日
読了日 : 2015年12月3日
本棚登録日 : 2015年12月3日

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