国の死に方 (新潮新書 500)

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  • 新潮社 (2012年12月20日発売)
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江戸期に水戸学で確立された国体論(「君臣相和し頭を垂れる」)が第2次世界大戦以後まで続くのだが、その国体論を実践し維持するには必要不可欠な要素があった。「犠牲を強いるシステムとしての国体」の側面だ。国体論が語られる際に表だって言及されなかったが、これこそが無条件降伏をした後でさえも維持しようとした国体を陰で支える要素だった、と片山氏はいう。しかし、この犠牲を強いるシステムはポツダム宣言(から、日本国憲法の制定ももしかして入るのか?)における軍国主義の除去と平和主義の徹底により機能停止される。《みんなで仲間意識を持ち、天皇を愛し相和せ君臣一体となる国体》を維持するには犠牲のシステムが不可欠なのに、「新たな犠牲の論理」を国家が生み出さぬまま戦後の日本は歩んできている。映画「ゴジラ」のように、犠牲は国家が強いるものではなく自発的に行うもの、というのが戦後なのかもしれない。しかし、国体を維持不能にするような装置(=原発)を作り続けている国が、国体を担保する犠牲の論理を成立させずに時計の針を前に進めるというのはどうにもおかしいことではないか?という論調。それはつまり、第2次世界大戦さえもくぐりぬけてきた国体が、今回の原発事故、あるいは今後も起こる可能性のある原発事故によっていずれ死を迎えるのではないか?という予測でもある。

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感想投稿日 : 2013年4月3日
読了日 : 2013年4月3日
本棚登録日 : 2013年4月3日

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