中世の秋 下巻 (中公文庫 D 4-4)

  • 中央公論新社 (1976年10月10日発売)
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○悪しき世であった。憎しみと暴力の火は高く燃え、不正は強く、悪魔の黒い翼が暗い地上をおおっていた。遠からぬ日に、この世の終わりが人類を待ち構えていた。だが、人類は行いを改めなかった。教会は戦った。説教師、詩人は訴え、警告した。だが、むだであった。
○指輪、ヴェール、さまざまな宝石、恋の贈りもの、それぞれが特殊なはたらきをもっていた。
○ひとは、このフィクションにそって、羊飼いの世界に逃げ込もうとした、現実のことではないにせよ、せめては夢の中ででも。
○民衆の想像力じたいが、もはや聖者たちを、いわばかまわなくなったのである。民衆の想像力は、もはや境界芸術の枠には、はまらなくなったのだ。
○ドニ・ㇽ・シャルトル―、つまり、シャルトル―ズ派のドニ、かれは、偉大な先人たちが考えてきたことすべてを、優しくかみ砕き、わかりやすい言葉の流れのうちに、丹念に繰り返している。集め、まとめはするが、新たに創造はしない。
かれは、全著作を自ら書き、読みなおし、訂正し、章節に分け、挿絵を飾った。その営々たる作業の果てに、ついに生涯の終わりを迎えたとき、かれは、熟慮の末、静かにペンをおいたのである。「わたしは、安全な沈黙の港にはいろうと思う」。
かれは、休むことを知らない。毎日、詩編全編を朗誦したという。せめて半分はよまなければ、そうかれは言っていた。なにかしているとき、たとえば着物を着たり脱いだりするときにも、かれは、お祈りの文句を口にしていたという。朝のおつとめをすますと、みんなまた寝に行くのだが、かれだけはそのまま起きているのである。
かれのからだつきは、大きくたくましく、やってやれないこととてなかったという。わたしは、鉄の頭と銅の胃袋をもっている、そうかれはいっている。かれは、いやがりもせず、むしろ好んで、腐った食物、うじのわいたバターとか、かたつむりに食いあらされたさくらんぼとかを食べるのであった。この種の毒虫は、死ぬほどの毒なんかもっていない、安心して食べられる、そうかれはいっている。からすぎるにしんは、腐るまで吊るしておくのだった。かれにいわせれば、食べるには、からいものよりも、臭い匂いのするもののほうが好きだ。
かれの神学上の省察と著述とは、静かで単調な学者の生活の産物ではなかった。超自然に接してのはげしい感動に敏感に反応する精神の、たえざるふるえのうちに、その思考作業をおしすすめたのである。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 外国古典
感想投稿日 : 2019年3月9日
読了日 : 2016年9月29日
本棚登録日 : 2016年9月29日

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