「もの」としての時間と、「こと」としての時間。
われわれは「もの」として意識することでしか、すなわち「もの」化することでしか、「こと」を意識できないのであって、それは時間についても同じである。
カレンダーや時計などの計量される時間が、まさにその代表。
しかし、「もの」としてしか意識できないとしても、「こと」としてある「いま」。
この「いま」について、木村敏は次のようにいっている。
「いまは、未来と過去、いまからといままでとをそれ自身から分泌するような、未来と過去とのあいだなのである」(傍点略)
われわれが未来あるいは過去についてなにかしらを語るとき、われわれはあたかも未来または過去なるものが、あらかじめ未来や過去を起点として存在しているかのような、いわば「分断点」としてそれを意識しがちである。
しかし、そのような過去/未来がまずあって、その「あいだ」に「いま」がはさみ込まれているのではない。
「あいだとしてのいまが、未来と過去を創り出すのである。」
このような「あいだ」という「こと」的な感覚。
平常われわれはこの感覚とともに、未来と過去、いままでとこれからの「あいだ」にある「いま」を、「…から…へ」という移行性のなかで生きている。
ところが、この「こと」としての時間感覚が失われる場合がある。
本書では、そうしたなにかしらの均衡が失われた時間感覚について、精神病と関連づけながら論じられている。
時間感覚から精神病についてみていくことが大変興味深く、その病気について理解が深まるとともに、「自己」と「時間」のつながりが、あるいは「自己」である「時間」、「時間」であるところの「自己」を考えさせられる。
新書のわかりやすさ、手に取りやすさを有しつつも、よくある多くの新書よりもはるかにタメになり、かつ興味深い一冊!
- 感想投稿日 : 2012年4月2日
- 読了日 : 2012年4月1日
- 本棚登録日 : 2012年3月17日
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