コンテクスト・オブ・ザ・デッド

著者 :
  • 講談社 (2016年11月15日発売)
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本棚登録 : 346
感想 : 58

【概略】
 変質暴動者=ゾンビが出現する世界の中、日本国内でゾンビの増加、人間への影響が増す中、編集者・デビュー10年目の売れない作家、寡作の美人作家、小説家志望の若者、福祉事務所につとめるケースワーカー、ゾンビに噛まれた女子高生、それぞれがそれぞれの立ち位置で、それぞれの文脈を背負い、ゾンビから逃げ、時に立ち向かい、時に共存する。どのようにしてゾンビが生まれ爆増したのか?この世の食物連鎖の頂点は取って代わるのか、はたまた・・・。芥川賞受賞作家によるゾンビ世界を下敷きにした日本文化の風刺作。

2019年11月20日 読了
【書評】※若干のネタバレ含む
 自分は、無類のゾンビ好きである(但し、ウォーキングデッドを除く)。そういったこともあり、本屋さんでぶらついていてタイトルに目がいってしまい、ジャケ買いならぬタイトル買いしてしまった本作。羽田圭介さんの作品を読むのは、実は本作品がはじめて。
 無類のゾンビ好き、であるからして、「ゾンビとはすべからく〇〇である」「最近のゾンビは、〇〇だ」などいった文脈は、わかる部類に入る。しかもタイトルが「コンテクスト・『オブ・ザ・デッド』」というタイトル・・・ゾンビが登場する。読みながら脳内では、勝手にゾンビに関するストーリー・フローチャートが構築されて、それに沿って文章を進めていったんだよね。それが第一部。
 ところが実際に、南雲晶という登場人物が、元AV女優に向けて「今、自分が見ているモノから判断をする(=過去の文脈に頼らない)」といったセリフを自身に投げかけたり、女子高生高崎希という登場人物が同級生が企画しているデモに加わらない決断をするあたりから「うん?おかしいぞ?普通のゾンビものとは違うぞ?」という違和感が。そりゃそうなのだけどね、ただのゾンビものを書くこと自体、羽田圭介さんじゃないだろうからね。
 第二部の中盤あたりからやっと「『コンテクスト』・オブ・ザ・デッド」の意味が色濃く出てくる。自分自身もそうだけど、最近はストーリーを自身のコンテンツにくっつける意識が本当に流行していて・・・自分自身も、その意見に大いに賛成で、なんとかしてストーリーを作ろうと思案している。このストーリーはコンテクスト(文脈)と読み替えることも可能なのだよね。「いかに内輪ウケを増やすか?」という斜に構えた書き方にもできる。このコンテクスト=文脈に、この作品は違った角度で切り込んでいるのだよね。その下敷きとして文脈が積み上がっている「ゾンビ」というコンテンツを利用したというね。ゾンビって、どんな他ホラーキャラも肩を並べることができないぐらい多種多様な分派がされていて、綿々と、脈々と(まさしく「脈」!)、過去から現在まで「ゾンビとは?」という川ができてるからね。
 そこに、おそらくは羽田圭介さんご自身が色々と抱えているであろう出版業界・文壇・・・いわゆる物書き界隈の沢山の文脈、そして、日本人の文脈への依存・・・そもそもハイコンテクストである日本語という言語の特質・・・そういったものが加味されて、この作品に昇華されたのだろうねぇ。
 「ストーリー(文脈と読み替えてもいい、ここでは)」を重視してきた自分にとっては、少しショックだったし、基本に立ち返らなくては・・・と、身につまされた思い、あったね、正直(笑)もう少し正確に自分の感情を描写するなら、クリエイターの部分として身につまされ、そしてプロモーターの部分としては相反する感覚だった。
 ただこの作品、これこそが「ゾンビ」という文脈を下敷きにしているから読者の反応は大きく分かれるだろうなぁと思った。純粋に「おぉ、羽田圭介がゾンビものを書いたか!」なんて感じで「ゾンビ物語」を楽しみたい・・・という文脈を期待した読者にとってはマイナスな展開だろうなぁ。逆に言語や文化の違いを楽しめるような読者からすると、「おぉ、そうきたか」というニヤリとした感覚、湧き上がると思う。読み手を選ぶ作品だよね。自分は両方とも楽しめる立場だったからよかったよ。
 最後に本作品で文脈に苦しむクリエイターの箇所、それを全て「トーストマスターズクラブのコンテストスピーチ」と置き換えて読むと、とても興味深い印象になったよ。傾向と対策の向こう側に・・・どうやっていけるか?そんなことを考えるキッカケになったよ。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 小説
感想投稿日 : 2019年11月22日
読了日 : 2019年11月20日
本棚登録日 : 2019年11月22日

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