行きつけの店 (新潮文庫)

著者 :
  • 新潮社 (1999年12月27日発売)
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本棚登録 : 266
感想 : 16

【概略】
 全国を飛び回る作家・エッセイストが、その土地その土地で愛したお店は、味だけではなく人であり空気感であった。「ただの店」から「行きつけの店」に昇華する文脈を大いに盛り込んだ一冊。

2023年02月24日 読了
【書評】
 まず2つ、前提で書いておかないといけない。1つ目は、自分は「グルメ」ではない。むしろ食文化レベルは、低い。2つ目は、この本は美味しいお店を紹介する本ではないということ。提供されている料理がオススメだ、ということではなく、その背景にある文脈を紹介しているのだよね。そこを誤解せずにしないといけない。
 会議と会議の合間(特に平日の昼間のような時間帯)はともかく、そうではないタイミングでは極力チェーン店を避けたい感覚がある。食事に限らず、選択肢が複数あった場合、よほどの金額格差がない限り、チェーン店よりも個人経営の形態の方にお願いしようとしている。顔がわかるやりとりがしたいからなんだよね。そのマインドで読み続けると、文脈に対して凄く共感できる。店主への、職人への、スタッフへのリスペクトが行間からにじみ出てるのだよね。羨ましいと感じたね。高級料理を食べていることではなく、歴史という文脈を創り上げたことに対して。今よりも「お客様は神様です」度合いが高かったり、著者のお客様としてもってる背景の優位性があるとはいえ、それだけではないはずだからね。
 料理そのものではなく、文脈にスポットライトが当たった作品という点、実は「食事とは?なぜ、わざわざお店で高いお酒を飲むのか?」という原点だよね。高い料理でも、誰と食べるか?どんな文脈で食べるか?で、美味しさは全然違う。美味しい・美味しくないだけが絶対的な判断基準ならば、(わざわざお店に行くのでなく)無機質に自宅に配膳される料理を味わえばいい。味としてはイマイチでも、自身で作った・仲間と作った料理が美味しいのは、文脈というスパイスが入ってるからだよね。人間が生き物である限り、「無駄」という言葉は二面性を有するよね。
 この本、描写がいいよね。めちゃめちゃ叙情的という訳じゃないけれど、行きつけの店が持っている(著者の側から見た)空気感がすごくわかりやすい。当たり前なのだけど、著者が本当にそのお店が好きだということが伝わってくる。そういう意味では、この描写は相対的なのかも。仮に自分がそれぞれのお店にお邪魔する機会を得たとして、(表現力はともかく)このような描写ができるかどうか、なのだよね。
 そうはいっても素敵な表現も、沢山ある。たとえば八十八の鰻丼を紹介する描写で、「なんというか、奥行きが深く、鰻丼のほうで美味という優しさを力一杯に提供しようとしている感じを受けた」というものがある。いいよねぇ、こういう表現。
 1995年(平成7年)に他界された著者のこの作品、2000年に発行されてる(Amazon では1999年だけど本書内では2000年)。23年経ち、コロナ禍という飲食店にとって大変な時期を過ごした今、この行きつけの店達はどうなっているだろう。自分が生きている間に、実際にお邪魔すること、できるだろうか?受け入れてもらえるような人間に、なることができるだろうか?まぁ、そういったことを考えるよりも、自身の「行きつけの店」を作ることの方が大事なのだけどね。
 しかしまぁ・・・本当に不勉強でいけない。著者の山口瞳さんという方がどういう方で、どういった作品を残しているということを全くわからない状態で読み進めていて。この書評を書くにあたり、どんな方を知ったという。知らないということは、強みであり、弱みだなぁ。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: エッセイ
感想投稿日 : 2023年2月24日
読了日 : 2023年2月24日
本棚登録日 : 2023年2月24日

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