フラニーとゾーイー (新潮文庫)

  • 新潮社 (1976年5月4日発売)
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サリンジャーによる「フラニー」と「ゾーイー」連作二編を一冊にまとめたもの。グラース家7人兄弟の末っ子である女子大生フラニーと、そのすぐ上の兄で俳優のゾーイーをめぐる物語です。このグラース家はサリンジャーの連作物語に登場する一家で、全ての物語を読むことでパズルのようにグラース家の家族関係が徐々に明らかになるということです。(グラース・サーガ)

「フラニー」では、フラニーとその彼氏のレーンのレストランでのやりとりが描かれます。二週間前までは気に留めることもなかったレーンの大学生の男の子にありがちなエゴや自己掲示欲、エリートとしての言動にフラニーは精神的ストレスを感じる様になっていました。フラニーもそれを露骨に態度に表すので、2人の会話は完全にすれ違っていく…。彼女がそうなってしまった背景には『巡礼の道』という一冊の本があるのですが、レーンに「それは何の本だい?」と尋ねられてもフラニーは「何でも無い」と言って逆に隠してしまう…。そしてついにフラニーは意識を失い倒れてしまいます。


「ゾーイー」はその後日、グラース家でのお話。一家の母ベシィがフラニーを心配し、兄ゾーイーに彼女と話をするよう頼み込む。会話の中で長男シーモァの自殺が、フラニーの心に暗い影を落としているということが判明します。『巡礼の道』を読みふけり、祈りを唱える彼女。実は彼ら7人兄弟はラジオクイズ番組の幼いころからの常連で、兄弟全員が異常早熟の天才として描かれています。フラニーとゾーイーは幼少の頃から上の兄達に宗教哲学や東洋思想を植え付けられてきました。
ゾーイーは説得する側でありながら、彼もまた他者と自我の折り合いに苦悩する若者なので、容赦なくフラニーに自分の考えをぶつけます。
「もしそのイエスの祈りを唱えるのなら、少なくともイエスに向かって唱えろ。お前が今すがっているものは、イエスではない。亡くなったシーモァや、聖フランチェスコなど複数の人物を頭の中でごちゃ混ぜにした、漠然としたイメージに対して祈りを唱えることで楽になろうとしているだけだ」

サリンジャーの作品はライ麦畑然り、若者が煩悶する描写が見どころ。他人や社会のエゴに対しての不満・疑心感から攻撃的になってしまう彼らに純粋さを感じます。とても綺麗で苦しい。フラニーは追い求める「神様」の答えを、生前シーモァの話していた「太ったおばさま」に見つけ救われます。ゾーイーの見事な説得を称えると共にこちらまで救われた様な気持ちになりました。

手元にあった昭和44年角川書店発行本はZooeyの読みが「ズーイ」だったのですが、現在発行されているものは「ゾーイー」が主流の様です。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 未設定
感想投稿日 : 2013年1月11日
読了日 : 2013年1月10日
本棚登録日 : 2013年1月11日

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