ルソーの理想とした一般意志に基づく政治を、現代のウェブを用いて実現できないか、その可能性を探る内容です。そしてそれが実現したとき、ウェブが政治的なものの定義を変える可能性を示唆しています。
著者はルソーの思想を、敵味方をつくるカールシュミット的全体主義とは別だといいます。一般意志はコミニュケーションレスな数理的なものだと。また、当然コミニュケーションを排する点でハーバマス的な熟議民主主義も否定します。ここにジャン・ジャック・ルソー問題が解消されます。そのうえで、グーグルによる検索、ツイッターによるつぶやきの発信など、無意識に近いかたちで人々が行ウェブ上の操作を一般意志の形成に役立てようというのです。
この思考の根底にあるのは既存の政治的常識を超えた価値一般の否定です。人はいくら議論しようが分かり合えない、理性は利害を乗り越えられない、市民が高い意識によって政治に関与することはない。そういった19世紀から20世紀にかけ隆盛した価値観の否定を受け入れられるか受け入れられないかで、本書の評価が分かれているように見えます。そして、ネットツールの話などが大変今時で目立っていますが、そんな手段の追求は枝葉のはなしであり、既存の価値観を変える選択を我々が決断するか否か、またするとしたらいかに政治的なものを再構築していくかを考えなければなりません。ツールがあるから乗っかろうではなく、論じる順番こそ重要だと思いました。
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- 感想投稿日 : 2017年9月25日
- 読了日 : 2017年8月3日
- 本棚登録日 : 2017年8月3日
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