永遠の出口 (集英社文庫(日本))

著者 :
  • 集英社 (2006年2月17日発売)
3.60
  • (424)
  • (706)
  • (1039)
  • (118)
  • (27)
本棚登録 : 6620
感想 : 642
4

冒頭───

私は、<永遠>という響きにめっぽう弱い子供だった。
 たとえば、とある休日。家族四人でくりだしたデパートで、母に手を引かれた私がおもちゃ売り場に釘づけになっている隙に、父と姉が二人で家具売り場をぶらついてきたとする。
「あーあ、紀ちゃん、かわいそう」
 と、そんなとき、姉は得意げに顎を突きあげて言うのだ。
「紀ちゃんがいないあいだにあたしたち、すっごく素敵なランプを見たのに。かわいいお人形がついてるフランス製のランプ。店員さんが奥から出してくれたんだけど、紀ちゃんはあれ、もう永遠に見ることがないんだね。あんな素敵なのに、一生、見れないんだ」
 永遠に───。
 この一言をきくなり、私は息苦しいほどの焦りに駆られて、そのランプはどこだ、店員はどこだ、と父にすがりついた。おもちゃに夢中だった紀子が悪いと言われても、見るまでは帰らないと半泣きになって訴えた。

1970年代、ぼくはおそらく一般的に“思春期“から”青春”と言われる時期の真っただ中にいた。
中学、高校、そして大学時代。
それが、ぼくの70年代だった。
未来に何の不安もなく、真っ直ぐに輝いていた日々。
そんな毎日をぼくは送っていた。
もちろん、悩みや葛藤や苦しみも、他の人たちと同じように味わうことはあったが、概ね、今振り返っても楽しい日々のほうが思い浮かぶ。
70年代は、遥か昔の、切なく、ほろ苦く、甘酸っぱい記憶のなかで、ぼくがあの頃に戻りたいと心の底から切望する時代だ。
でも悲しいことに、その時代には二度と戻れない。
心の中で振り返るだけにとどめて、明日に向かって歩き出すだけだ。

この作品は、1970年代から80年代へかけて、主人公紀子の小学校から中学生、高校生へと少しずつ大人になっていく姿が描かれている。
小学校時代の親友との永遠の別れ。
危うくドロップアウトしそうになった中学時代。
勘違いで無残に散った高校時代の初恋。

淡々とした日常の中で起こるちょっとした出来事。
両親の離婚問題は、その中でもいちばん大きな問題だったろうか。
多かれ少なかれ、人はこんな経験をして成長していくのかもしれない。
森絵都はそんな少女紀子に優しく寄り添って描く。

最後に書かれたエピソードも秀逸だ。
───生きれば生きるほど人生は込み入って、子供の頃に描いた「大人」とは似ても似つかない自分が手探りしているし、一寸先も見えない毎日の中でのんきに<永遠>へ思いを馳せている暇もない。
 だけど、私は元気だ。まだ先へ進めるし、燃料も尽きていない。あいかわらずつまずいてばかりだけれど、そのつまずきを今は恐れずに笑える。
 生きれば生きるだけ、なにはさておき、人は図太くもなっていくのだろう。
 どうかみんなもそうでありますように。
 あの青々とした時代をともにくぐりぬけたみんなが、元気で、燃料を残して、たとえ尽きてもどこかで補充して、つまずいても笑っていますように───。
 急に一人になった薄曇りの放課後みたいな、あの懐かしい風の匂いが鼻をかすめるたび、私は少しだけ足を止め、そしてまた歩き出す。(348P)

森絵都は児童文学出身だけあって、主人公を奈落の底に突き落とすようなことはしない。
常に、明日があるのだからどんな時でも希望を持って、と語りかける。
明日が、未来が、ある限り、ぼくたちはそれが明るいものだと信じて歩き出す。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 森 絵都
感想投稿日 : 2014年7月29日
読了日 : 2014年7月9日
本棚登録日 : 2014年7月8日

みんなの感想をみる

コメント 0件

ツイートする