蹴りたい背中

著者 :
  • 河出書房新社 (2003年8月26日発売)
3.07
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本棚登録 : 8000
感想 : 1319
5

※2012年に書いたレビューです.<(_ _)>

凄まじいタイトルです。
これが八年前に芥川賞をとったとき、どんな小説? と、まず思いました。しかも作者は当時早稲田大学在学中で19歳の最年少受賞。そのうえ、かわいい。女子高生にしか見えない。(受賞時の初々しい彼女はYOUTUBEで見られます)これではマスコミがほっときません。
同時受賞も20歳の金原ひとみさんで、こちらのタイトルも「蛇にピアス」ですからね。

「蹴りたい背中」と「蛇にピアス」ですよ。
ひと昔前ならSM小説です。どちらも著者は若い女性なのに……。黒いボンテージファッションを身にまとい、しなやかな鞭を持って「さあ、跪いて足をお舐め!」という光景しか私には頭に浮かびません。いやはや日本の文壇も凄い時代になったものだと。

文藝春秋なんて普段は買わないのに、八百円程度(作品と選評とインタビューだけ切り取り、あとは捨てちゃったので値段がはっきりしない)でこの二作品が読めるのですから、「持ってけ、泥棒」的なお買い得感。
書店で思わず手が伸びちゃいました。だから、実際読んだのは単行本ではなく文藝春秋で、です。

この選評がまた面白い。特に某石原都知事(某じゃないっ!)とカンブリア村上龍のが。
知事曰く「すべての作品の印象は(中略)軽すぎて読後に滞り残るものがほとんどない。」一刀両断。
「このミステリーがすごい!」の覆面座談会発言みたい。これ読んで、すでにこのとき選考委員を辞任すべきだったんだと思いましたね。もう時代についていけないんだ、知事は。

カンブリア村上氏は「これは余談だが(中略)若い女性二人の受賞で出版不況が好転するのでは、というような不毛な新聞記事が目についた。当たり前のことだが現在の出版不況は構造的なもので若い作家二人の登場でどうにかなるものではない。」
さすがカンブリア龍村上。
現在の日本経済事情をよく分かってらっしゃる。
「カンブリア宮殿」の司会は伊達じゃないな、と。
当時はまだ「カンブリア宮殿」は始まっていませんが。
レビューなのに全く作品に関係ないことばかり書いています。

何ゆえにこう脱線するのだろう。
思い入れが強すぎるんだな、きっと。
文章書いてるとそれを思い切りぶつけたくなる。
でも実際の私は、いたって真面目でおとなしいものです。「都知事閣下のためにもらっといてやる」発言の田中慎弥さんみたいに。
言ってみれば、車に乗った途端、人が変わったのかと思うような言動をする人がいるじゃないですか。
さっきまでおとなしく無口だったのに、ハンドルを握ると前の車に「こら、てめえ、早く曲がれよ。信号が赤に変わっちまうだろうぐわぁ!!」と叫ぶような。
あれは車という絶対閉鎖空間で自分が守られている安心感から出るんですね。
前の車の運転手が恐い顔したお兄さんだとしても、叫んだってその声が聞こえるわけないから。
で、話を戻します。
実はこれを買った八年前、私は二作とも読まなかった。いや、読めなかった。
先の選評があって、次に二人のインタビュー、そして最初の作品「蛇にピアス」が出てきます。
最初の一行。
「スプリットタンって知ってる?」
もうここで脱落でした。
綿矢りさ風に言えば「知ってますか? 知ってません。」てなものです。
何故か読む気にならなかったんですね、今でも手元にあるのにまだ読んでませんが……。

で、はい、次の人。
「さびしさは鳴る。耳が痛くなるほど高く澄んだ鈴の音で鳴り響いて、胸を締めつけるから、その音がせめて周囲には聞こえないように、私はプリントを千切る。細長く、細長く。」
今読むと、なんと素晴らしい文章なのだろう。
さびしさは鳴る。
この叙情的な響き。これだけで魅きつけられるのに。

書棚が溢れて泣く泣く本を整理せねばならぬ羽目になり、突然現れたこの文藝春秋。先の芥川賞問題発言などで(そういや、これ読んでないな)と思って手に取り読み始めると、これは響きました。琴線に思い切り差し込んできました。もうそれからは一気。短いのであっという間に読了です。

感想は、高橋源一郎じゃないけど「完璧!」。この「時代」と「日本語」に選ばれた天才。
ほとんど読点のない読みにくい文章ながら、その読点のなさ自体が美しい日本語を醸し出しているというか。
これ実際にこの作品でやってみると難しい。
どこかに読点を打ちたい。でも、どこに打っても違和感が残る。そして、長い文章の合間に突然現れる口語。
「てきとうな所に座る子なんて、一人もいないんだ。」
「どこかな、何が間違ってるのかな。」
「負けたな。」
「ちょっと死相出てた。ちょっと死相出てた。」
これらの言葉に全く違和感を感じないのです。

さらに巧みな比喩。
「そうめんのように細長く千切った紙屑」
「味噌汁の砂が抜けきっていないあさりを噛みしめて、じゃりっときた時と回じ」
「人間に命の電気が流れていると考えるとして、(中略)にな川の瞳は完全に停電していた。」
こんな比喩が最初の5Pほど読んだだけでたくさん出てくるのです。もう参りました。というしかないです。

知事は選評で「主題がそれぞれの青春にあったことは当然(中略)それにしても(中略)なんと閉塞的なものであろうか」と非難していますが、私はそう思わない。
人間と人間の関りのなかで、普通の人と同じようにうまく接点が取れない、或いは取らない二人。

でも、普通って何だろう。一般的って何だろう。当たり前って何だろう。
みんながそうするから私も仲間に───などと簡単に思い切れないハツ、そしてにな川。
本当は二人ともバーチャルではないリアルな関係を持ちたいんだ。でも安易にそうしていいのかな、と悩むんだ。
ほんとは、ほんとは、あなたと───。
「蹴りたい。愛しいよりも、もっと強い気持ちで」
ここにはそれまでずっと耐えていた仄かな愛が見えます。
何度も何度も読み返すと、この場面は感動する。
若さゆえ傷つくのが恐い。それをずっと我慢してたんだ。
そう思ったら、私の「はく息が震えた。」
こんなに素晴らしい小説とは思っていなかったので、本当に読了後、はく息が震えました。天才だったんだね、綿矢りさ、と。
でも、どうして八年前は読めなかったんだろう、不思議です。
いや、ネタバレしないように、引用しつつレビュー書くのは結構難しい。というか、これレビューじゃないな……。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 綿矢 りさ
感想投稿日 : 2019年2月10日
読了日 : 2019年2月10日
本棚登録日 : 2019年2月10日

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