<うつくしい、物語としても見ることのできる少女評論>
川端康成や尾崎翠、稲垣足穂、大原まり子等の小説を通じて、高原さんが描く少女画。それは少年のようでもあり、中性的で年齢不詳にして変幻自在で、境界に降り立ちます★
ここで<少女>と言うのは、肉体の性別や年齢を超えた、意識として、精神としてのそれです。
仮に、男性優位社会から与えられる役割を引き受け、社会から望まれる「女性らしさ」を体現することでうまく立ち回るのが、「大人(の女性)になる」ことだとしましょう。
そんな役回りは甘んて引き受けたりなんかせず、誇り高い自意識をもたげるのが<少女>なのです☆
現代でさえ、実生活において、<少女>は敗色濃く見えます。けれども勝算にかかわらず、ことに文学の世界では古典の時代から、<少女>は愛されている。時代を飛び超えて、どこまでも変身変化を遂げながら生きのびている。
高原英理さんが標す(しるす)少女の系譜は、そう告げているのです★
枠にとらわれない意識(自由)、型にはまらない概念(高邁)、それが少女性。
一般的な「少女らしさ」というイメージも、すでに幼く甘たるく、あらかじめ不快に汚されています。そんなお着せの「女らしさ」「少女らしさ」をジェットで飛ばして、真に少女のための物語を探究する書物と出遭うことができた。幸福に思いました。
どちらともつかない、ということをグレーゾーンと言うけど、グレーは光の波長の捉え方次第でプラチナになる☆ ここに銀色の光の帯が視えてくる。
ついには<少女>という呼び方にも捕らわれないというように、それは消え失せ、銀色の粒子が四方に飛び去っていく……☆ うつくしいイメージのわく評論でした。
「今の時代に、これを評論とは呼ばない」と著者自身は述べたけど、こういう物語のような評論・書評とこそ、多く出遭いたい。書籍の宣伝の一環ではない評論活動が、少女のように自由にくり広げられることを願います★
- 感想投稿日 : 2011年4月15日
- 読了日 : -
- 本棚登録日 : 2008年9月4日
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