アレクシア女史シリーズの2作目。
1作目のレビューはこちら。
『アレクシア女史、倫敦で吸血鬼と戦う』 (英国パラソル奇譚)についてのkumabettiさんのレビュー - ブクログ
http://booklog.jp/users/kumabetti/archives/1/4150205329
@booklogjpさんから
この作品は、楽しい。
今、日本で似たような物語を作ろうとすると、まずもって、無駄な描写、展開を排除するというのが当世の流行りであり、むしろ好ましい展開だと思われている節があるが、はっきり言って、この作品の要素たちは、無駄だらけ。
そしてそれこそが、この作品の魅力。
アレクシアが飛行船に乗る、というときに、なぜ、奇妙奇天烈な帽子が好きなアイヴィを連れていかなければならないのか?
なぜ、仲のよくない妹(のうちのひとり)を連れていかなければならないのか?
楽しいからだ。
本筋にまったく関係ないどころか、変身できなくなった人狼や、消滅してしまったゴーストたちという、諸問題というには本書のメインの謎と、まったく関連がないにも関わらず、まるで「主人公が結婚してしまったのだから、恋のパートは私たちにお任せよ」とばかりに、やりたい放題三角関係で騒ぎ立てる婦女子たち。
そしてそれが、楽しい。
1作目は、世界観の描写と、主人公アレクシア、そしてマコン卿、および人狼と吸血鬼たちのそれぞれの事情などを丁寧に描いていたが、2作目に来て、キャラクターたちの活き活きとした姿が、まずもってパワーアップしたようにすら感じる。
これこれこれこれ。
こう言うのですよ!
物語とは、プロットをただ進めればいいってもんじゃない。
ある展開に沿って、「この状況だったら、こいつはこう動くよね!」という、キャラクターが生きて動く感覚。
そしてそこにこそ、物語の楽しさとリアリティはある。
小池一夫先生が提唱するキャラクター論とは、まさしくこれ。
物語は、登場人物がプロットの犠牲になるのではなく、むしろプロットをより先に進めさせる原動力となることが望ましい、ということ。(ちなみに、プロット重視でありながらキャラクターが物語を動す、奇跡的なバランスを持っていた、という意味で希有な作品として小池先生が捉えているのが、話題になったアニメ『まどかマギカ』であることは、今さらいうまでもない)
婦女子陣のパートは、人によっては無駄だと思うかもしれない。
ところがどっこい。
これこそまさしく演劇的であり、一見無駄に見える、実際無駄なパートこそが、楽しいパート、なのである。
そして、僕が好きなのは、こういう作品だと胸を張って言える。
3作目以降も楽しみです。
- 感想投稿日 : 2012年7月3日
- 読了日 : 2012年7月3日
- 本棚登録日 : 2012年7月3日
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