桃源郷ものがたり (世界傑作絵本シリーズ)

著者 :
  • 福音館書店 (2002年2月1日発売)
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本棚登録 : 130
感想 : 21
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これは表紙を見るだけで、作者の思いの深さが感じられる素晴らしさで、堂々とした美しい書体に、中央の桃色の靄で囲まれた、華やかながらも素朴な幸せを感じさせる世界は、まさにこれがあの・・・

絵本にしては、かなりの大きさがあり、それは、頁を捲る度にその雄大な世界の中へ入り込めるような大迫力であり、その絵柄は、上手い下手というよりは、まさに味があるそれであり、一見不格好であるように見えるけれど、しばらくじっと見ていたら、実は達筆過ぎただけだったみたいな感じで、一度その美味を堪能してしまうと、その世界はたちまち、朴訥な温かさと遠い日の夢へと変貌し、それは、真の闇の濃さを感じさせる洞穴の中や、薄く青みがかった淡い夜景色、川の両岸にどこまでも続く、見事な桃の林の下に生えている草から漂う、とても良い香りであったりと、確かに私の夢見た桃源郷に纏わる断片だったように思われて、何か、忘れかけていた心の引き出しを開けてくれたような感覚には、奇妙ながらも心地よいものがありました。


本書は、作者の「松居直」さんの、子どもの頃のファンタジー好きの始まりまで遡る、壮大な夢物語の実現でもあり、それについては、巻末の「新たに語り伝える理想郷」に、詳しく書かれております。

きっかけは、松居さんが小学生の頃、お父さんがとりかえた掛け軸の絵が何なのか聞いたときに、『ブリョウトウゲン』という絵だと答えられた事で、「桃源郷ものがたり」が、中国の晋の武陵というところを舞台としているのもありますが、松居さんが中学三年生の頃、漢文の教科書で『陶淵明』の『桃花源記』という名文を学んだ時に、その絵を思い出し、あれは『武陵桃源』だったのだと納得されたそうです。

陶淵明は中国だけでなく、日本でも古くから尊崇されている大詩人で、彼の生きた時代は、戦国争乱の悲惨な世の中で、人々は平和で豊かな暮らしに心から憧れていて、その気持ちを理想郷に託して描きだしたのが桃花源記であり、物のあふれたぜいたくな暮らしよりも、質素でも心の安らぐ田園生活のなかに真の豊かさがあることを、陶淵明は桃源郷の物語として語っており、以来、桃源郷という言葉は戦争のない、平等に助けあって人々が暮らしている理想社会=ユートピアを現わす代名詞となったそうで、まさか桃源郷の誕生が、戦争のない平和な世の中を夢見たものだったとは知らず、遥か遠い晋の頃から、このような思いを抱いていた人が居たことに、私は思わず、言葉にならない感情を掻き抱き、そこから歴史のもつ重みと、それを知ることの大切さ、世界も歴史も繋がっていることを、改めて痛感いたしました。

そして、1995年に北京で国際図書展が開催されたときに、本書の絵を描かれた、現代中国を代表する絵本画家の、「蔡さん」にお会いして、『桃花源記』の絵本をつくるという新しい夢が生まれて、こうして日中合作の『桃源郷ものがたり』は完成されました。


松居直さんが昨年永眠されたことを、遅ればせながら知りました。

松居さんについて、「こどものとも」初代編集長や、福音館書店の相談役であったり、1996年に児童文芸家協会より「児童文化功労者」の表彰を受けたりと、輝かしい実績があるのですが、私が知ったのは、つい最近読んだ「絵本のつくりかた」の記事であり、これまで知らなかった事を恥ずかしく思いましたが、それでも知ることが出来て嬉しかったですし、何より、これだけ絵本に思いと情熱をかける人が、私の生きている時代に存在したという事実が、私にとって、何よりの幸せです。今頃はきっと、松居さんがかつて夢見た武陵桃源で、安らかに暮らされているのかもしれませんね。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 絵本
感想投稿日 : 2023年3月18日
読了日 : 2023年3月18日
本棚登録日 : 2023年3月18日

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