昭和の初め,人文地理学の研究者,秋野は南九州の離島へ赴く.かつて修験道の霊山があったその島は,豊かで変化に富んだ自然の中に,無残にかき消された人びとの祈りの跡を抱いて,秋野を惹きつけた.そして,地図に残された「海うそ」という言葉に導かれ,彼は島をひたすら歩き,調査に打ち込む――.50年後,秋野は不思議な縁で,再び島を訪れる.
愛する人びとの死,アジア・太平洋戦争の破局,経済大国化の下で進む強引な開発…….いくつもの喪失を超えて,秋野が辿り着いた真実とは
登山を趣味としているので、一緒に山歩きをしているような感覚で読み始める。
冒頭3ページに舞台となる遅島の紹介を読み、もしかするとモデルは『甑島』じゃないかと推測。甑島とは私の故郷の近くに浮かぶ島で馴染みが深かった。年に2、3人程度、甑島出身の中学生が島を離れ高校に入学して来た。彼らの言葉は、私たちが使っているいわゆる鹿児島弁とは少し違い、雅やかなトーンに聴こえた。地図を引っ張り出して参照すると、間違いなく巻頭に描かれた遅島は、下甑と呼ばれているタツノオトシゴの形だった。
海うそとは蜃気楼だった。
読み終えてどうしようもないやるせなさが押し寄せて来たが暗くはない。
気に入った箇所を残しておくことにした。
『時間というものが、凄まじい速さでただ直線的に流れ去るものではなく、あたかも過去も現在も、なべて等しい価値で目の前に並べられ、吟味されるものであるかのように。
喪失とは、私のなかに降り積もる時間が、増えていくことなのだった。
立体模型図のように、私の遅島は、時間の陰影を重ねて私のなかに新しく存在し始めていた。
これは、驚くべきことだった。喪失が、実在の輪郭の片鱗を帯びて輝き始めていた』
喪失とは失うのではなく、降り積もる時間が増えていくことと表現されていて、救われる思いがした。
『「きれいだなあ」佑二が感に堪えない、というように呟いた。まるで不意をつかれたように、それは私の「気分」の合間を貫き、胸の奥の深いところへ鋭く届いた。
その「現象」を、興味深くは思っても「きれい」という形容で味わうような、いわば「子どもの視点」のようなものは、これまでの私の境涯には現れたことがなかった。しみじみと海の向こうを眺める。
海うそ。これだけは確かに、昔のままに在った。
かなうものなら、その「変わらなさ」にとりすがって、思うさま声を上げて泣きたい思いに駆られた。
同時に、山根氏が昔呟いたことばを思い出した。
――父は、ここから、海うそを見るのが何よりの喜びだった。
その同じ風に吹かれているうちに、ここに到着したときに感じた、失うことへのいたたまれぬほどの哀惜の思いが、自分の内部で静かに変容していくのを、目の前のビーカーのなかで展開される化学変化を見るように感じられた。尤もこういう思いは初めてではなかった。これまでにもしばしば経験することがあった。それは老年を生きることの恩寵のようなものだと思う。
若い頃は感激や昂奮が自分を貫き駆け抜けていくようであったが、今は静かな感慨となって自分の内部に折り畳まれていく。そしてそれが観察できる。若い頃も意識こそしなかったものの、激する気持ちは自分のなかに痕跡くらい残したのだろうが、今は少なくともそのことを自覚して静かに見守ることができる』
果たして老年期にこんな包容力のある優しさを、私には持てるだろうか・・・。
幸いにもというか甑島には橋が架けられていない。帰省した折に、久しぶりに島に自生する鹿子百合に会いたくなった。
遅島はすべてに繋がっている。
- 感想投稿日 : 2018年5月30日
- 読了日 : 2018年5月30日
- 本棚登録日 : 2018年5月28日
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