ひろさちや氏の名前は前から知っていましたが、著書を読んだのはこれが初めて。
禅とは、日本人にとって身近なようでありながら、実はよくわからないものです。
「戒律が厳しい」「簡素」「座禅」というようなイメージしかないため、この本を読みました。
禅が示すことは、「即今・当初・自己」。
「今、ここで私が生きる」ということを指針としています。
それはつまり、未来を心配したり、過去を悔やんだりしないことを意味し、つまりは余計なことを考えない、今していることに集中し十分楽しむ、ということに繋がっていくそうです。
現在に集中するというのは、簡単なようで実はとても難しいこと。
三大宗教はすべて共通して「未来を悩むな」と説いているということです。
コミックを挿入しながら、禅のことを何も分からない人々に解説していく流れを取っています。
今に前向きな、力強い、いい先生です。
多数を意味する数は、日本では「八百」ですが、インドでは「八万四千」。
数の違いに驚きます。やはりインドはグレートです。
禅とは経典がない仏教であり、言葉に寄らない釈迦の教えと捉えるべきものだとか。
「拈華微笑(ねんげみしょう)」が禅の始まりとされているそうです。
文字で書かれたものは読む人によって解釈が違ってしまうため、教えの形が不変である禅が尊ばれたとのこと。
禅の中では、常識や道徳は邪魔だということに驚きました。
つまり、一休法師の破天荒な人生は、禅では是とされるものなのです。
日本の二大禅僧といわれる一休と良寛。
一休は激しい臨済宗の僧で良寛は穏やか曹洞宗の僧。
宗派の違いは、二人の性格や生きざまにも表れているようです。
釈迦の「天上天下唯我独尊」とは「私は今までの教えに寄らない独立した教えを説く。」という意味だと、解説されていました。
「自分が一番偉い」という意味ではないと知って、なんだか安心しました。
主人公という言葉は禅語だというのが意外でした。
また、「喫茶去」は「お茶どうぞ」という意味だということも知りました。
喫茶去という喫茶店を神保町で見かけて、店名がずっと気になっていたところだったので、スッキリしました。
南無は「おまかせする」という意味ということまでは知っていましたが、サンスクリット語の「ナマス」からきているそうです。
つまり、「ナマステ」は「あなたに帰依する」という意味なんだとか。
まさか、「南無阿弥陀仏」と「ナマステ」が意味の上で繋がっていたとは、思いませんでした。
「知恵」と「智慧」の違いも説明されており、とてもわかりやすく禅についての大まかな理解が得られた本。
少し身近に思えてきました。
最後に著者プロフィール欄を読み、ひろさちやとは本名ではなく、ギリシア語のPhiloと、サンスクリット語のsatyaに由来していると知って驚きました。
- 感想投稿日 : 2012年1月20日
- 読了日 : 2012年1月20日
- 本棚登録日 : 2012年1月20日
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