長文です。
「夏休みふたたび」前後編、「最後の道」「南の島」「エピローグ」を収録。
その3を読み終わり、わたしはとても興奮していた。イリヤのことばかり考えていた。
冒頭で二人がほのぼの楽しそうにしているのを見て違和感。気楽過ぎやしないか。しかし浅羽の方は実のところ(一人になる御手洗いのシーンで)疲弊した顔を見せる。ああ…早くも嫌な予感がする。
忍び込んだ小学校で浅羽と伊里野は吉野に出逢う。吉野は大人だ。善も悪も両方持っている。榎本も、椎名もそうなのと同じように。善で浅羽を認め、二人に歴史の授業をする。悪で物を盗み壊し逃げ、伊里野を犯そうとする(または、犯した)。
浅羽は大人になりかけているのに、子供のままでありたがっているように感じた。髭剃りを恥ずかしいことだと思う、自慰に罪悪感を覚える、大人のように善悪両方なんて持ちたくない、と考えているのでは。
大人のような諦めも妥協もしないと無理やり自分を押さえ込んでいたが、とうとう我慢が出来なくなり、最後の道で伊里野にすべてをぶちまけてしまう。逃避行の終わりが見えていた。
浅羽は祖父母の家に電話し(会話を傍受されることを判っていただろう)、祖父母の自宅で榎本に再会する。伊里野を手放す。そして、榎本から本当のことを聞かされる。三日後の最終決戦に負けたら人類は滅亡する。
ところが三日後、戦争は終わったと報道される。学校に行くが伊里野はいない。校内放送で呼び出され、浅羽はヘリに乗り込み南の島へと向かう。
「最期」の出撃を拒否する伊里野を説得させるために、浅羽は呼ばれた。伊里野の戦闘服には無責任で切実な願いが呪いのように寄せ書かれている。この部分の文章を読んだとき、言葉で言い表せない気持ちになった。わたしは今後、寄せ書きを頼まれても断ることにする。
浅羽は人類と伊里野を秤にかけ、伊里野を選んだ。伊里野は、自分の命と人類を秤にかけ、浅羽のいる人類を選んだ。浅羽のためだけに死ぬ。こんな悲しい台詞があるか。
エピローグでは、椎名からの手紙が筆者からのメッセージにも思えた。結末は決まっていたのだ。
読み終わり、判ってはいたけれど煮え切らず、レビューを読み漁った。冲方丁先生の考察を読み、少し落ち着いた。
間違いなく「イリヤの空、UFOの夏」は名作だと思う。これ以上ないラストだと思う。けれどわたしは、伊里野がずっと生きていて、浅羽の隣で微笑んでいてくれたらと思わずにいられない。
- 感想投稿日 : 2013年3月17日
- 読了日 : 2013年3月16日
- 本棚登録日 : 2013年3月13日
みんなの感想をみる