革命のつくり方

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  • インスクリプト (2014年10月13日発売)
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感想 : 7
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香港でいま起きていることを理解するためには、台湾のひまわり運動について知らなくてはならない、と書店でこの本を見かけた瞬間に気がついた。手のひらサイズの薄い本の隙間からイメージがあふれ出てくるような造本も魅力的だ。
本は2部に分かれていて、後半の運動の記録は、運動を構成していたさまざまな要素を、スナップショットとごく短いコメントで紹介したもの。これに、ひまわり運動をなぜ世界の革命の流れの中に位置づけて見るのかについて、短い論考が添えられている。禁欲的と言っていいくらいに文章量も少なく、小さくて薄い本なのに、最近読んだ中でもっとも豊かで刺激的な本のひとつだ。
ひまわり運動に連なる世界の革命の流れをたどるのに、港千尋がまず注目するのは、権力の奪取でもステートメントでもなく、美術と文学が果たす役割である。そこから、議論は、都市の空間に出現する群衆へと移っていく。
「群衆は人間の内にすでに棲みついているものであり、すぐれて触覚的な現象であり、幻影であると同時に現実である。
 群衆は、これを実態ではなく過程としてとらえたほうがよい。…群衆はある時点に存在するが、別の時点には消えている。…そこには必ず人間が群衆となる過程がある。この過程こそが群衆の本質である。だから群衆には全体がない。通常わたしたちは、群衆を人間の塊として、全体としてイメージするが、それは輪郭を持たない全体なのである。この全体の不在こそが群衆を群衆にするのである」。
この群衆、聞きとられるべき意味をもつ言葉が発される議場ではなく、その外の街路に出現する群衆が、議場において発される言葉の機能不全を見抜き、誰の言葉が聞きとられるべきかを決定する暴力に抗して、言葉が発され、聞きとられる空間=議場をみずから創りあげるとき、そこに革命が生じるのである。
このような種類の「革命」こそ、ウォール街で、タハリール広場で、台湾で、香港で、連鎖的に幻視されたものだったのだ。
ひまわり運動が始ったきっかけは、紛糾する議場で与党議員が持ち込んだマイクで一方的に審議終了を宣言したことだったという。学生たちの運動は、超法規的方法で立法空間からその機能を奪ったプロセスを、そっくりそのまま逆転させたものではなかったかと、港さんは指摘している。この部分を読んで思いだすのは、特定秘密保護法の審議の時に出現した、同じような光景である。
いま香港で起きていることを、台湾のひまわり運動、エジプトやチュニジアにおける事件、オキュパイ運動との関係において読むという行為は、東アジアそして世界各地の運動の連鎖から孤立しているかのような日本の姿を、逆に際立たせる。
この本はほんとに禁欲的で、日本で「革命」を作るためのヒントをひきだそうなどとはしないのだけど、仮にここで革命をつくろうとするならば、たぶんもっとも必要なのは、想像してみることなのだ。そのための最良の美学的ガイドである。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 歴史と社会
感想投稿日 : 2014年11月15日
読了日 : 2014年11月12日
本棚登録日 : 2014年11月13日

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