野口嘉則『鏡の法則』(64頁,総合法令出版,2006年)で紹介された参考図書の中から、こちらの一冊を選んで読んでみた。
内容は、
ゆるすとはどういうことか?
ゆるせないと思うのはどうしてなのか?
ゆるすためにはどうすればいいのか?――等々。
著者自身の体験や、ゆるしを実践して安らぎを得た人たちの実話を例に挙げつつ、丁寧に説いてくれている。
人が、ゆるせない!と思うときに、いちばん心に引っ掛かるものって…
①ゆるしたら、(相手の)その行為/不行為が正しいと認めることになってしまうのではないか?相手もまたそう受け取って、勝ち誇り、同じ過ちを繰り返すのではないか?
②こちらがゆるしても、相手が何も変わらない(変わる必要がない)のであれば、意味がない!→自分の気持ちをわかってほしい、自分の価値観の方が正しいのだと相手に認めさせたい!~という、一種の復讐願望?
③自分をゆるすなんて、責任逃れではないか?
たぶん、こういった気持ちが大きいんじゃないかなと。
けれども、ゆるしとは、自分の心を過去の傷から解放すること。自分の心を、自分の思いによってのみ、自由にできること。
ゆるすということは、一見 相手ありきの話のようでいて、その実、自分の心の中だけで決着をつけられるものらしい。
すべては自分の思い次第。
それでもやはり、ゆるすということは難しい。
現実問題、ゆるし/ゆるされることだけで、すべてなんとかなるわけじゃないかもしれない。
ゆるすと決めたうえで、相手を叱らなければいけないこともあるし、諌めなければいけない場面もあるだろう。
とくに最近思うのは、自分をゆるすことの難しさについて。
基本的に、人は自分に甘くて他者に厳しいものだと思う。でも、こと「ゆるし」の話になると、自分で自分をゆるすのは、とても困難なことだと感じる。
誰かにゆるされてはじめて、ようやく自分でも自分をゆるせるような気がする~ということもあるかもしれないが、それだと相手ありき、相手の支配のもとでしか成し得ないことになってしまうのではないだろうか?…と不安になる。
そんなわけで、やっぱりゆるすということは難しい。
こんなにも心を込めて「ゆるすということ」について力説されても、結局まだまだ自分ではその本質を掴めない。
自分なりに考えて、今のところ実践できていることは、せめて仕返しをしないことと,なるべく怒りを心の隅っこに追いやること~くらいだ。
だけど、人の“思い”の力は大きい、と私は思う。
だからどんなに時間がかかったとしても、自分は誰かをゆるせる人間だと信じたい。そしてまた、自分も誰かにゆるしてもらえる人間なんだと信じたい…。
本書を読んで、そう思った。
- 感想投稿日 : 2017年6月9日
- 読了日 : 2017年6月8日
- 本棚登録日 : 2016年9月2日
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