この人を見よ (ハヤカワ文庫 SF 444)

  • 早川書房 (1981年8月1日発売)
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本棚登録 : 117
感想 : 11
3

自分の人生に全く自信が持てない精神医崩れのユダヤ人カール・グロガウアー。イエス・キリストの生涯に並々ならぬ執着を抱く彼は、市井の素人科学者が作ったタイムマシーンに乗って西暦29年のエルサレムへと旅立つ。そこで彼が見たものは、自分の名前しか言えない白痴のイエスと、セックスにしか関心のない淫乱なマリアだった。生きるよすがを失ったカールが取った行動とは?そして、彼の行動が歴史に与えた影響とは?

暗い。どうしようもなく暗いorz
鴨がこれまで読んだSF、というか小説全般の中で、これ以上に救いようのない話はないと思われる筆舌に尽くしがたい暗さ。物語の半分以上は、カールがこれまで歩んだ半生が如何にどうしようもなかったか、という説明に費やされます。そもそも、カールがキリストの生きた時代に行こうと思ったきっかけが、とにかくもぅこの嫌な現代(=自分の人生そのもの)から逃げ出したくて仕方なかったから、の一言に尽きます。西暦29年のエルサレムに辿り着いてから後も、プレッシャーに負けそうになって人前でゲロ吐きまくったり、マリアの誘いに乗って欲望全開にしちゃったり、と本当にフォローしようがないダメダメな主人公です。

<以下ネタバレ注意>
そんなダメダメな彼が、白痴のイエスに成り代わって自ら”聖書に記された史実通りの”イエス・キリストの生涯を再現しようと決意したのは、ひとえに自分がそれまで信じて来たキリスト教に縋り付いていたかったから、だけなんですよね。鴨はここに、宗教の本質を垣間みた気がしました。本質はどうでもいい、ただ自分以外の存在に責任を持って欲しい。自分の人生だけど自分で責任負いたくない!そのために命捧げても構わない!という矛盾を矛盾と感じない心性イコール宗教、というじゃないかと。
キリストとして生涯を終えたカールは、死の間際に醜く生に執着し、死後復活することはありませんでした。そんな即物的なラスト・シーンに、ムアコックの問題意識を感じますね。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: SF(海外・長編)
感想投稿日 : 2012年2月16日
読了日 : 2012年2月16日
本棚登録日 : 2012年1月16日

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