太宰治というと「人間失格」を高校の国語で読み、その後「斜陽」なんかも読んだことはあるが、私の中では暗い、女々しい、キザな人という印象であった。
だが、この「津軽」は解説にもあるよう、太宰作品の中では、特異な位置を占め、明るさとユーモアに満ち、彼の本質を表している作品のようである。
ある出版社の依頼で太宰の生まれ故郷の津軽風土記を書くため、三週間、帰郷した時のことを書いたものである。
序編で「おのれの肉親を語ることが困難至難の業であると同様に、故郷の核心を語ることも容易に出来る業ではない。ほめていいのか、けなしていいのか、わからない」と書いているように、太宰は自分自身の核心である故郷、津軽のことを肉親を紹介するように恥ずかしがりながらも、愛に溢れた文で綴っている。
故郷でSさんという人のお宅に招待されて、お邪魔した時、入るやいなや、怒涛のように酒や食べ物を勧められ、面食らったエピソードがあるが、 「その日のSさんの招待こそ、津軽人の愛情の表現なのである。」と書いている。太宰自身も遠方よりお客さんが来たときには、どうしたら良いかわからず到れりつくせりの心づかいをして、お客さんに閉口されるだけの結果になることもあるという。普段ははにかみ屋で神経質なのに、お客さんに対しては不器用に精一杯もてなそうとするのが生粋の津軽人である、と太宰の本質、ルーツについて打ち明けている。
津軽滞在中は、太宰の実家でお金持ちの津島家に昔仕えていたT君、学生時代唯一仲の良かったN君達と心置きなく過ごすのだが、みんなが太宰の前で無遠慮に他の作家のことばかり褒めるので、太宰もついつい本音を吐く。
「僕の作品なんかは、滅茶苦茶だけど、しかし僕は、大望を抱いているんだ。その大望が重すぎて、よろめいているのが僕の現在のこの姿だ。君たちには、だらしのない無知な薄汚い姿に見えるだろうが、しかし僕は本当の気品と言うものを知っている。松葉の形の干菓子を出したり、青磁の壺に水仙を投げ入れて見せたって、僕はちっともそれを上品だとは思わない。…」
心許せる故郷の友の前でこんな本音を吐く太宰を「かわいいではないか」と思ってしまった。
しかし、実家では片身が狭いようである。実家津島家は名家で、お金持ちで、若くして父親が亡くなったあとは長兄が跡をつぎ、父親がそうであったように、長兄にも近寄り難い。解説では、太宰の暗い憂鬱の翳は、旧家の鬱で、自分の「家」から、自分の運命からいかにして逃亡するかという、抵抗と傷跡が、彼の文学に一筋の道として通っていると書かれている。実家での団欒の中で、明るさを添えているのは、血の繋がった兄弟よりも、津島家に仕える爺やである。
最後に太宰が何十年来、最も会いたかった人に会いにいく。それは子供の頃、太宰の母親に代わって彼を教育してくれた女中のたけである。このシーン、ウルウルきた。まさか、太宰治の本で、涙が出るとは思わなかった。
関西人の私からみれば外国のような津軽の人について、太宰治のルーツについて、太宰治の特異な家庭環境とそれが彼の人間形成に与えた影響について、彼自身の言葉で解説されている貴重な作品であった。
- 感想投稿日 : 2021年1月25日
- 読了日 : 2021年1月24日
- 本棚登録日 : 2021年1月24日
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