この日本で生きる君が知っておくべき「戦後史の学び方」 池上彰教授の東工大講義 日本篇 (文春文庫)

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  • 文藝春秋 (2015年7月10日発売)
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「はじめに」に書いてあった
「歴史を教える人にとって、戦後史は現代そのもの。自分が経験してきたことは歴史と感じません。ところが、自分が経験していない人にとっては、それは歴史なのです。この認識の落差が、戦後史を空白にしてきたのだと思います。」(P11)
「たとえば2001年9月のアメリカ同時多発テロ。多くの大人にとって、これは現代のニュースです。それが、東工大の学部生にとっては、小学校低学年のときの出来事でした。親たちが騒いでいるのは見ていても、その意味はわからないまま。なのに、親や大人たちは、わざわざ教えてくれることがありません。その空白を埋めようというのが、私の講義の目的です。」(P11~12)
に触発され、時々日経の連載でも読んでいたこともあり、親世代として私も息子にどう説明していくとよいのか、その参考になればと思い、本としてきちんと読んでみることにした。
とは言っても、私自身も、戦後復興や55年体制、三井三池炭鉱の話はそもそも生まれてないし、学生運動や田中角栄氏のことも幼いときのことなので、覚えていると思っていることも、実は後から見た映像や本からの知識なのかもしれない。そういう意味では、はからずも私自身の空白を埋めることができたと思う。
ただ、池上さんは「歴史的な出来事を、現代の視点から切って捨てることは容易ですが、それでは歴史から学ぶことはできません」(P269)とおっしゃり、例えば学生運動の講義で、東工大も学生寮の規則を改正への抗議で全学ストになった話、そしてそれを学生が笑ってしまったことについて、「なぜあんなに皆が怒っていたのか。いまとなっては追体験できないけれど、それが、あの時代の空気だったんだ」(P208)とおっしゃる。全体を通じて感じるのだが、つまり池上さんは、その時代の空気感を理解することが歴史から学ぶということなのだとおっしゃりたいのだろうか?歴史上の出来事を経験した者と、経験していない者の落差を埋めるために必要なこととは、経験した者が当時の空気感を伝えることなのだろうか?
もちろん、大事なことではあると思う。しかしながら、それを伝えることに熱心すぎると、結局は年寄りの価値観の押し付けで終わってしまうことにならないか。どんなに頑張っても、当時の若者と今の若者とは置かれた状況はまるで違うわけで、たとえは悪いが、富士山を静岡側から見るのと山梨側から見るのとではその印象はまるで違うのに、それを山梨に居ながらにして静岡から見える富士山を感じろと言っているようなものではないのか。
経験した者としなかった者の落差は厳然として存在してしまう。経験した者として、経験しなかった者に伝えていくことは大事なことはあるけれど、経験した者だけが知っている空気感を強調することが、経験していない世代に「伝える」ということに、本当になるのだろうかと思わずにいられなかった箇所もあった。
私は、落差を「埋める」のは無理だと思う。むしろ、私達大人の方が、学生の側に立って、経験していない者から見ると、私たちが経験したことはいったいどう見えてしまうのか(上にあげた例のように、当時の学生運動は今の学生には笑ってしまうようなことなのだということ)を謙虚に受け止めることのほうが、「歴史から学ぶ」ことにつながるように感じた。

*登録ミスで、本当は紙の本で読みました。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: enjoy reading
感想投稿日 : 2017年7月22日
読了日 : 2017年5月12日
本棚登録日 : 2017年7月22日

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