政権交代論 (岩波新書 新赤版 1178)

著者 :
  • 岩波書店 (2009年3月19日発売)
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第一章「なぜ政権交代が必要か」

イギリスでは議院内閣制がしばし「選ばれた独裁制」に陥ると言われる。
更に日本では裁判所とメディアもその独裁に弱いのだから問題である。
裁判所は人事で介入を受けた痛い過去があるし、
メディアも免許や親玉である新聞社の払い下げ問題でどうにも頼りない。
民主化を成立させるには政権交代による独裁防止が必要不可欠なのだ。

右と左。
富の格差を縮小する平等志向(左派)と放置する自由志向(右派)のこと。
政府の役割の大小に関する対立軸とも重なり合うふたつの志向です。
大恐慌後に貧困に喘ぐ国民を救うには左派が求められるし、
逆に政府が腐敗し政治のリストラが求められる状況では右派が求められます。
状況に応じて政権を変えていくことが望ましいのです。

第二章「アメリカの政権交代」
第三章「イギリスの政権交代」

アメリカの行政府と議会ははっきり区別され、日本と違い官僚の層が薄く、
政権交代の際には中央省庁の中堅以上の役職は充足によって補われます。
大統領と与党が違う党派になることもあり、操縦に苦心することも多いです。
予備選挙というリクルート制度があったり面白くもあるんですが。

イギリスの政府はウェストミンスターモデルと呼ばれる下降型です。
首相と内閣は議会の多数党の党派が指導力を発揮し、
閣僚は国政を見渡して所轄領域において主体的に政策を考えます。
行政機関から完全に独立しているので、
国民の信任と負託が必要不可欠でありますが。

ちなみに日本は上記の下降型に対して上昇型を採用しています。
この型の内閣は閣僚が寄り合いを開く場であり、
個別の行政機関に彼らが対極的な指導力を発揮することは難しいです。
アメリカもイギリスも時代に合わせて政治志向を変化させて適応してきたことが、
この二章と三章で丁寧に説明されています。
実質自民が永久独裁している日本はどうなのでしょうか。第四章に続きます。

第四章「なぜ日本に政権交代がないのか」

自民党政権がなぜかくも長続きしたのかについて。
まず冷戦対立のなか、アメリカからの資金的政治的援助が明らかとされています。
資本主義体制を死守したい経済界からの圧力も。
また時代も味方した。
経済成長は右派と、経済発展から取り残された人々に再分配する左派、
それが自民党のなかに両立することを許し、政権交代の可能性を封じたのです。
そして戦後初期の混沌を知らない平和で官僚に骨抜きにされた世代が
自民の活力を奪い始めているのです。

冷戦構造崩壊そして経済成長の終焉後、
自民党を押すプレッシャーが削がれ、自民は危機に立たされました。
しかし政権交代も束の間、社会党の混迷などで自民党に政権は戻ります。
そして政治改革の道は再び閉ざされたのです。
中曽根、佐藤以来の成功した首相・小泉政権が誕生し、
首相の主導で政治を動かし、小さな政府に向けての改革がなされました。
しかし「我亡き後に、洪水よ、来たれ」そのままに、
弊害である不平等や、地方支持の低下などをうみだし新たな問題が発生します。
スローガンだけに踊らされた国民も痛みを思い知りました。
だからこそこの混乱の中、政権交代が必要とされているのです。

第五章「民主党は政権を担えるか」

1990年代の改革論においては市場化と市民化という
ふたつのベクトルの混在が特徴とされています。
市場化のベクトルには市場重視のもので
公共サービスに消費者の原理を持ちこむなどのネタも内在した
政治の浄化と生活者の利益実現を目指すものです。
市民化のベクトルとは、
民主主義を徹底し、政策のひずみを修正するというもの。
この強者の優遇と弱者への配慮を雑居ビルのように混在させたため、
民主党もまた明らかな政策打ち立てに苦労することになりました。

現在の小沢政治と2007年参議院選挙の大勝。
このとき小沢民主党の成立にはいくつかの幸運がありました。
ひとつは前原代表の失脚によって
新自由主義を唱える若手の勢力が低下し、党内の構造変化があったこと。
ひとつには自民党保守政治家だったため、
農村保守派が構造改革によって自民を離れ、小沢民主にうつったこと。
同時に小泉政権がかなり右派寄りだったため、
左派としての主張が対立軸として立てやすかった事。
また、安部首相がリーダーとして不適格であったことも幸いしました。
国民が年金等の生活の不安に怯え、
憲法改正を望まず消極的だった情勢のなかで
持論の憲法九条で戦おうとした失策は民主党への追い風になったのです。

ただ、長くの自民独裁のため、
民主党に行政府に送り込める人材がいるのか、
官僚の入れ替えがないことから
のように民主党オリジナルの統率、指導を行い活性化に導くのか、
などなど。この地点では小沢民主党だったのでここで終わっていますが。
現在はどうなんでそうね。ははは。

第六章「政権交代で何を変えるのか」

政権の常道を考えるための民主政治のふたつのモデル。
一元的民主主義(契約モデル)と多元的民主主義(協調モデル)です。
前者は政党が国民に政権公約を示し負託を受けるもの。
後者は多数の政党が様々な民意を代表し、
それらの政党同士の交渉や妥協によって政治が運営されるというもの。
戦後の日本はどちらかというと後者に近かったけれど、
別の面から見れば既得権の温存などの弊害を招きやすく
大規模な転機を妨げる恐れがあり、国民を苛立たせていました。
けれど権力の一元化は小泉政権でも分かるように独裁を招きかねない。
独裁を防ぐ仕組みを含ませつつ危機を乗り切る後者に移行すべきなのです。
健全に後者の道を歩むにはどうしても野党の勢力が求められます。
だからこそ政権交代は重要なのです。

「失われた十五年」という言い方がしばしばされますが、
その期間にも国と自治体の対等関係、情報公開、市民参画の政治など
まあそこそこの成果は出していました。
問題はこれをどのように目に見える形で運用するか、
そして残された地方分権と官僚組織改革の解決です。
小泉政権下では地方交付税削減などで地方は窮乏し、
地域経済政策や福祉サービス供給の地盤である地方財政を圧迫しました。
同時に消えた年金問題で浮き彫りになった官僚の病理に対する国民の反発は深く、
コストカットだけでなく質の向上という意味での改革が求められることになりました。
具体策をどの政党が最初に提示するのか、
政権交代の可能性によって政治の活性化が訪れる時代になればいいのですが。

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 政治モノ
感想投稿日 : 2009年12月28日
読了日 : 2009年7月7日
本棚登録日 : 2009年7月7日

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