二年ぶりに再読。改めて思うけど、すごく良かった。
最近のわたしがずっと気にしている部分を深いところでぐさぐさ貫かれるようで泣きそうになった。
ひとを好きになったり嫌いになったりするとき、その究極的な根拠はただ「なんとなく」という感覚にあるのだと思う。理屈とは別のところにある「なんとなく」の論理を信じている。むしろそう信じること以外に他人を、決して触れられないし理解もできない他人を、好きになる方法を知らない。あのひとにとって切実な痛みを同じように切実なものとして共有することがわたしはできない、それでもあのひとを何か大切であたたかい存在であると現に感じてしまっていることを、「なんとなくそんな気がするから」という以外にどう説明すればいいのかわからない。根拠など持たないまま、ものすごくグレーであやうい関係性の中でわたしは他人と暮らしている。
『熊の敷石』は、「なんとなく」で築いてきた(と思っていた)居心地の良さが、不意にぐらりとその足場を失う瞬間を描く、関係性の物語だと思う。なんとなく、を信じるのは、とても傲慢なことなのかもしれない。無知で盲目で、愛していながら知らず知らずに相手を傷つける悲劇、そういうものと常に背中合わせになりながらわたしたちは生きてゆくしかないのだろう、ラ・フォンテーヌの熊のように。悪意がなくても偽りがなくても、傷つけてからでは、遅いのに。取り返しのつかない痛みを負わせてしまう恐ろしさは、当たり前のように傍にあった。それは今までもこれからも、わたしが誰かと一緒に生きる限り避けることのできない悲劇の予感だった。
まるでどうでもいい余談だが堀江敏幸さんについてあれこれ検索しているうちに、彼の誕生日がわたしと同じ日であることを知った。どうでもいいけどうれしい。
- 感想投稿日 : 2010年5月4日
- 読了日 : 2009年12月4日
- 本棚登録日 : 2009年12月4日
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