戦前の右翼思想といえば、北一輝とか、大川周明とか、石原莞爾とかが思い浮かぶわけだが、著者は、こうした革命的な右翼思想は挫折し、「変革」を目指すのではなく、「現状」を肯定する方向に理論化が進んでいったとする。
といった着眼点で、
・どうせうまく変えられないならば、自分で変えようとはおもわないようにする
・変えることを諦めれば、現在のあるがままを受け入れたくなってくる
・すべてを受け入れて頭で考えることがなくなれば、からだだけが残る
といった章立てで、安岡正篤や長谷川如是閑などのディスコースが分析されていく。
そして、そうしたディスコースの源流には、阿部次郎やら、西田幾多郎やらの思想があるということで、なるほどというか、とほほなお話し。。。。
戦前の知識人、教養人が、たくさんのことを学んで、深く思索して、一見、深い真理を含むような境地に達しつつも、それが当時の社会との関係では、著者が皮肉にも章立てでまとめたようなとほほな結論になってしまうのだ。。。。
途中まではなんか深いところに到達しそうな思索が、「どうしてそうなる」ということに転換するポイントには、天皇という存在がある。
つまり、戦前の世界のなかで、欧米諸国のなかでの弱小国家が生き延びていくためには、日本は他の国とは違う尊い国なのだという信念がほしいわけだ。そして、それは西洋文明とはことなる、日本文化、東洋文化の独自性と優位性にもとめられ、それを体現しているのが天皇なのだ、という話しに常に回収されていくのだ。
戦前、しかも右翼のディスコースという観点からすれば、それは必然なのだろうが、今、読むと論理の飛躍というか、矛盾は明らか。が、こういうことを真面目に考えていたんだな〜と思うとなんとも言えないものがある。
- 感想投稿日 : 2021年11月7日
- 読了日 : 2021年11月7日
- 本棚登録日 : 2021年11月7日
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