その村からは、村民がひとりふたりと姿を消し、一軒だけが残った。
娘はとうに死に、息子は村を出て行き、残った男と妻と一匹の雌犬は、朽ちていく村で静かに暮らしていたが、
妻は、怖ろしく寒い冬の日、首をくくって自殺した。
男は、雌犬とこの世に残され、深い静寂に包まれた誰もいない村で、最後のひとり、最後の一匹として生きている。
死期を感じた男は、自分の墓穴を掘り、雌犬の頭を猟銃で吹き飛ばして殺し、たったひとりでいいから、自分がこの廃村で生きていることを思いだし、雌犬と同じように頭を吹き飛ばしてくれる人間が現われることを夢見る。
とてつもなく暗くて悲しい闇の塊が重く貫いている小説だ。
最初の第一章の文は殆どといってよいほど、「だろう」で終り、この推量の終止形の連発に違和感を持つ。
しかし、平坦な文章の連なりの中に、読者は発見を見出す。
一人称で語っている彼はもう死者なのか?
その後も一人称の語りは続き、まるで、寒く冷たい朽ち果てた村を間近で見ているように、引きずり込まれていく。
男は回想する。悲しい記憶ばかりだ。
雌犬が彼を困らせることはない。
男も犬も誰からも忘れられて村と一緒に滅ぶ。
黄色い雨が降る。
訳者の木村栄一氏は、神戸外大の学長で、スペインの小さな町の書店の店主にこの本を薦められたという。
この店主は、『黄色い雨』を薦める前に、ブッツアーティの『タタール人の砂漠』を薦めたり、なかなか通の人物である。
作者のフリオ・リャマサーレスは、1955年スペイン生まれで、弁護士からジャーナリストに転身した人物らしい。
フリオ・リャマサーレスは、早くから詩人として知られ、散文に転向したらしいが、本書の魅力は、詩的表現の頻出と韻文的な言葉の用い方、悲嘆と絶望を独創的なリアリズムで描ききる力量、人間の命と村の命との連関における循環構造の悲哀。
---夜があの男のためにとどまっている---
畏敬の念を覚える作家である。
- 感想投稿日 : 2012年8月25日
- 読了日 : -
- 本棚登録日 : 2011年10月1日
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