三宅久之の書けなかった特ダネ (青春新書インテリジェンス)

著者 :
  • 青春出版社 (2010年11月2日発売)
3.16
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感想 : 30
4

 うっかりすると読み飛ばしてしまいそうな薄い本だが、一点一点実に興味深い。
 新聞記者の仕事が夜討ち朝駆けの時代であったからこそ担当政治家とも懇意になる。そこまでは当然のごとく推察できるのだが、果ては相談まで受けるようになるという所までは考えが及ばなかった。
 最後の方で著者が書いている。
<blockquote> 「昔は、昔は」というと、若い人から「それは老化の典型的症状」と笑われるのだが、それは承知の上で「昔の政治家は風格があった」と思う。</blockquote>
<blockquote> 記者会見の場で会見者の顔も見ずにパソコンを叩いている「記者」。
 公明党幹事長代理、高木陽介は毎日新聞社会部出身で、・・・こういう。
「記者会見は会見している政治家が、質問に誠実に答えているか、そうでないか。顔色も見ないで判断できますかねぇ。現役の記者諸君にそういうと、“デスクが早く原稿を上げろ”というので仕方がない、というんです。」</blockquote>
 今の新聞記者には「志」が見られなくなっている。
 本書に著者の「自慢」と見受けられる表現があるとすれば、それは「自負」と読み替えるべきであろう。
[more]
・日ソ国交回復交渉(昭和三十一年)
<blockquote> 河野−フルシチョフ個別会談で、河野が、
「ソ連は大国だから、国後、択捉など小さな島にこだわらないで返せ、四島返還が実現しないと、われわれは日本に帰れない」
 と迫ると、フルシチョフも、
「われわれも譲歩をするとクレムリンから追い出されるんだ」
と応酬。フルシチョフが話の合間に大きなペーパーナイフを取り出し、振り回して威圧するので、
「そのナイフを記念にくれ」
といって取り上げると、また引き出しから同じ形のナイフを取り出して振り回したそうである。</blockquote>
 この会談で歯舞、色丹を日本に引き渡す同意が形成され、国後、択捉については共同宣言以降継続交渉することになったが、明記されていなかったために今に至るまで領土問題が解決していない。

・田中六助は日経、安部晋太郎は毎日新聞、河野一郎は朝日新聞の記者だったのか。そういう来歴は知らなかった。

・岸退陣による自民党総裁選・・・池田勇人、大野伴睦、石井光次郎、松村謙三、藤山愛一郎。
<blockquote> このときの総裁選がニッカ(二陣営からカネをもらう)、サントリー(三陣営からカネをもらう)、オールドパー(全陣営からもらう)という総裁選をめぐる実弾線のはしりとなった。</blockquote>

・沖縄返還
 佐藤栄作は元はと言えば沖縄返還にはあまり積極的ではなく、三木武夫外務大臣が「核抜き、本土並み」返還を主張したことに不満感を持っていた。沖縄返還は佐藤の意志によるものではなく、米国の極東軍事戦略の転換によるものであり、佐藤は密約と共に米国のシナリオに従っていっただけに過ぎない。そのくせノーベル平和賞受賞に向けてロビー活動をしたというのだから嗤わせる。

・政商小針暦二
 福田赳夫が首相となり欧州外遊の際、小針は密かに福田の贔屓のマッサージ師を手配して、福田の泊まるパリのホテルに「届けた」という。政商というのはこういうことまでやるものなのか。

・田中角栄
 田中訪中に同行した早坂茂三のの話によると、田中訪中が発表されるやいなや、彼の都立大学駅近くの自宅に新華社通信の記者二人が訪れた。
 取材と称して田中の朝食はどんなものか、好物は何か、コメはどこ産のものか、などを事細かに尋ねた。
 早坂は朝食は白いご飯に塩ジャケ、コメは新潟のコシヒカリ、ミソは普通の味噌と八丁味噌の合わせ味噌などと答えたら、北京の釣魚台迎賓館では、いった通りの朝食が出たという。中国側としては、最大級のもてなしをしたのだろう。

・ロッキード事件
<blockquote> 昭和史を彩る政治事件の中でも、これほど奇怪な事件はなく、真相はいまだに闇の中である。</blockquote>
 ロッキード社がトライスターを売り込むに当たり、多額の賄賂が政府高官に渡ったという。東京地検は関係者を次々逮捕したが、肝心の贈賄側主犯、ロッキード社社長コーチャンの証人尋問は米国裁判所に嘱託するというわけの分からない手続きをとった。しかも「起訴しない」との約束付きである。
 さらに、証言に対しては反対尋問を行使できるはずなのに、ロッキード事件ではそれが拒否された。
<blockquote> 手続きに限定してみても、この事件は検察庁も裁判所も一緒になって違法行為を行い、はじめから有罪ありきで田中角栄を裁いたことになる。</blockquote>
 (ちなみに、反対尋問不在については渡部昇一も言及している)
<blockquote> この事件はいろいろな資料や調書を読んでも、不思議なことが多すぎるのである(五億円というカネがロッキード社から出て丸紅に渡ったことまでは事実ではないか、と思うが、それがどこへ行ったのか)
 ・・・事件の発端が米国の上院外交委員会多国籍企業小委員会に誤配された手紙から明るみに出た、という話からして、国際陰謀事件の臭いがするではないか。</blockquote>
<blockquote> 早坂茂三の話。
 ロッキード事件が発覚して間もなく、ロッキード社から多額のカネが日本政府高官に渡っていたとの報道があったころ、オヤジ(田中)と車に乗っていた時、オヤジが、
「早坂、最近トライスター、トライスターとやかましいが、トライスターとは一体何だ」と聞くから、
「ロッキード社が開発した旅客機で、お尻にエンジンが三つついているので、トライスターというんだと思います」
と答えたら、
「ふ〜ん、それでトライスターか」
といっていた。
 全日空への導入で請託を受けていたら、そんなことは知っているはずだろう。オヤジは全く知らなかったと思う。</blockquote>
 中央大学法学部の橋本公亘(きみのぶ)名誉教授が、一審判決後に「ロッキード裁判の法的問題点」を「判例時報」に連載し始めたが、五回で打ちきりとなった。
 「私の意図は、静かに法律論を述べることにあった。しかし、残念ながら、いまは、まだその時期が到来していないようである」とのことである。

・田中後継をめぐる熾烈な争い
 福田、大平正芳、中曽根康弘、三木武夫が後継を争うことになったがカネとポストの約束が乱れ飛ぶ金権選挙となるのが目に見えていたため、副総裁の椎名悦三郎に裁定を一任することになった。
 その時大平は、
<blockquote>「行司がまわしを締めることはないな」</blockquote>
と念押ししたそうである。「アー、ウー宰相」としてしかぼくの記憶に残っていない大平だが、政権取得には並々ならぬ意欲を持っていたようだし、その読みは正しかったようだ。
 椎名は一旦三木を指名し、それに対して三木が”身に余る重任で、直ちにお引き受けすることは即答しかねる”と、一旦裁定を椎名に返上し、それを受けて椎名が「やむを得ず、自分が引き受ける」というシナリオを描いていたのだが、三木は総裁就任をその場で即座に受諾してしまった、というのが三木総裁誕生の裏話。以後椎名は三木に対して怨念を抱くが、これは三木の戦略勝ちなのだろう。

・福田→大平への「密約」の真実
 ポスト三木を巡って大平と福田の綱引きがあった。大平は総裁選を行えば田中軍団の指示で絶対勝てると踏んでいたが、福田は財界人を仲介にした話し合いで政権奪取を目論んでいた。官僚上がりの考えそうなことだ。
 ところが、
<blockquote> 福田政権の任期を三年から二年に短縮し、それまで党務を大平に一任することで大平の妥協を引き出した。世にいう「大福密約」である。</blockquote>
 そして、品川のホテルで、「ポスト三木の新総裁には、大平は福田を推挙する、党務は主として大平に委ねる、党則を改め総裁の任期を三年から二年に改める」との密約書に福田、大平、園田直、鈴木善幸の四名が花押捺印する。
 オトナならこの文書は「二年で政権を譲り渡す」と読めるはずだが、二年後、福田は「世界は福田を求めている」と政権継続を表明。結局総裁選で福田は敗北し、「天の声にも変な声がある」との名台詞で撤退した。

・福家(ふけ)俊一
 この人の名は知らない。昭和十二年に二十五歳の若さで「大陸新報」の社長となった。昭和二十七年の総選挙の立ち会い演説会で三木武夫と火花を散らしたエピソードが面白い。
<blockquote> はじめに立った福家が三木のことを暗に指して、
「戦後男女同権となったが、この選挙区には妾を三人も連れてきている不徳義漢が立候補している。このような男を当選させてはならない」
 次いで立った三木はこう演説した。
「只今フケ(福家)ば飛ぶような男が吾輩のことを指して妾が三人いるといったが、これは大間違い、正しくは四人であります。彼女らは戦時中、東京が空襲で住めなくなったので、吾輩が郷里香川に連れてきて養っていたものでありますが、彼女らは青春を吾輩に捧げ尽くし、妾といっても老来廃馬、もはやものの用には立たないのでありますが、今、彼女らを捨てても拾うものとていない。かような非人道的なことをすれば、たとえ人は許しても天の許すところではありません。これがけしからんというのであれば、どうぞ吾輩を落としていただいても結構です。」</blockquote>
 結果は三木がトップ当選、福家は最下位落選となった。
 対立候補同士がその場で論戦する立会演説会というものを復活させて欲しいものだ。その方が絶対に選挙民に分かり易い。

 福家のエピソードもう一つ。
<blockquote> 岸内閣当時のことである。議員会館の福家の部屋に立ち寄ると、ブツブツいっている。何かあったんですかと聞くと、こんな話だった。
「岸がある財界人の所へ使いに行ってくれ、行けば分かるようになっている、というので行ったら、紙袋を渡された。中をあらためると、100万円の札束が五つ入っていた。手間賃に一つ頂戴して残りを岸さんに渡したら、岸が中を調べて、フケ君、カネの単位というものはな、一、二、三があって四はなく、次は五になるんだ、といって手を出すんだ。仕方がないから懐から100万円出して渡してきた。ワシがもっと悪党だったら、二束とって300万円渡す。そうすればバレなかったのに、ワシが良心的なものだから損してしまった」</blockquote>

 春日一幸は飄々とした爺さんというイメージしか持っていなかったが、それなりに剛胆な人であったらしい。

<blockquote> 田中角栄は自分の生い立ちがコンプレックスとなっていて、東大出を異常なほど珍重した。後藤田正晴や山下元利がそうで、鳩山邦夫が東大卒業後、政治家志望の第一歩として田中の秘書となった時、自分の秘書の早坂茂三を邦夫養育係にあてがったほどだ。</blockquote>

・河野洋平は、自民党総裁になりながら総理になれなかった唯一の政治家(谷垣総裁以前)
 
・菅直人
<blockquote> 市川房枝に長年秘書として仕えたKさんという女性がいた。
(著者が管はどういう人間かとKさんに尋ねると)
「ある時、市川先生に呼ばれましてね。Kさん、菅さんをあまり信用してはいけませんよ、と言われたことがありました」</blockquote>
 著者が驚いて矢継ぎ早に質問したところ、彼女はそれきり口を閉ざしたということだ。

 
 
 
 
 
 

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カテゴリ: 本・雑誌
感想投稿日 : 2018年11月4日
読了日 : 2014年1月17日
本棚登録日 : 2018年11月4日

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