犠牲の死を問う: 日本・韓国・インドネシア (教科書に書かれなかった戦争 PART 61)

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  • 梨の木舎 (2013年8月1日発売)
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お国のためや国のせいで死んだ人たちをどう認識するか、についてのシンポジウムまとめ。

メインは光州と靖国、ふたつの追悼施設の話。
韓国で民主化運動に身を投じて政府に虐殺されたのち無視されたり顕彰されたり人たち。
日本でお国のために死んて靖国につっこまれたり入れてもらえなかったりした人たち。
侵略戦争と民主化運動は真逆だけれど、国による死の利用は同じなのではないかという問い。
そこに似たような人だけが集まっている日韓とはちょっと違う多民族国家インドネシアからの視点が入って話が広がっていく。

高橋の「死の利用への嫌悪」と、「たとえ民衆の側であっても犠牲の死を称えてはいけない」という言葉が私にはしっくりくる。
ここしばらく感じていた、人助けで死んだ人への賛美への違和感が腑に落ちた。
でも、動乱の社会を知っている李の「虐殺に意味づけをしなければ残った人は生きていけない」というのもわかる。
知らないから解らないけれどそうなんだろうなと理解できる。

李はあとがきで「あまり話はかみ合わなかったけれど」と振り返るけれど、すごくきちんと話し合いになっていると私は思った。
同じ答えには達しないけれど、みんなが相手の話をきちんと聞いているから。
そういう話し合いは鋭くても攻撃的にはならなくて、安心して読める。


いきなり始まるので最初だけちょっとついていけなかった。
いつ語られた何についての議論ですよという前書きが欲しかった。
神父の話も宗教者すぎて私にはよくわからず。
あと誤字脱字多め。書き起こしを急いじゃったのかな?

読書状況:読み終わった 公開設定:公開
カテゴリ: 歴史(人・出来事・点)
感想投稿日 : 2013年11月24日
読了日 : 2013年11月24日
本棚登録日 : 2013年11月24日

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