太宰は好きではなかった。
『富嶽百景』『走れメロス』は好きだったが、全体的に鬱々として、自分はダメだ、私なんて生きていても仕方がない、そんなことばかり書いているのだろうと思っていた。
特に、『斜陽』なんてタイトルからして暗い、しかも破滅への道、なんて書いてるじゃないか。
くどくどと「悩んでる俺」に酔っているんだろう、そう思っていた。
それをなぜ読み始めたのか。
NHKの「100分de名著」がまたしてもきっかけとなった。
見ていてびっくり、読んでびっくり、百聞は一見に如かず。
これは「斜陽」ではない、「夜明け前」だ!
私が誤解していた四人四様の滅びと裏表紙に書いてあった。
しかし、かず子は滅びてなどいないし、滅びに向かってもいない。
かず子はこれから逞しく生きようとしている。
私生児と共に生きようと、古い道徳と争うと、そう言っているではないか!
困難の道にあえて臨もうとしている、ここで書かれているかず子の姿は、今まさに立ち上がらんとしている。
確かにかず子の母、弟の直治、恋人の上原は、滅び、あるいは滅びようとしていた。
お母様の死は一つの時代の終わりだった。
直治は最後に自分の本来の姿を認めて誇り高く、だからこそその自分に潰された。
上原も同様だ。
しかしかず子は違う。
誇りに潰されることなく、時代を乗り越え、新たな「生」を掴み取った。
彼女自身が自ら勝ち取った、新しい誇りだった。
太陽は沈む。そして一日が、その一日が積み重なった時代は終わる。
けれども翌日、また太陽は昇ってくる。
昨日の続きではなく、新しい今日として。
彼女は今まさに登ろうとしている。
暗がりを一度見たとて、それは滅びに向かったのではなかった。
新しい一日を迎える準備だったのだ。
悲壮?
違う、これは希望に満ちた本だ。
底抜けのわかりやすい明るさではないだけで。
これこそが、私が好きな太宰だった。
- 感想投稿日 : 2016年1月13日
- 読了日 : 2016年1月4日
- 本棚登録日 : 2016年1月13日
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