マッカーシーは確か随分年老いてから、最初の息子を得たはずだ。孫、と言ってもおかしくない歳の離れた息子に対して、父であるということはどういうことであるのか、それを寓話を通して伝えようとしているように思える。
この作品で描かれる世界は、文字通り絶望に満ちている。何らかの大きな災厄に見舞われ、我々が知っている(と思い込んでいる)倫理的で文化的な世界は滅亡している。人が人を欺き、大人が幼児を焼き殺して喰らい尽くす。そんな世界だ。だが、本質的にその悲惨さは、今の世界と何が違うのか。隠されているだけで、日々幼児は殺され、金を持った人間はブクブクとその死体の上で肥え太る。
勿論、この作品は現代の文明批判の小説、などではない。決してない。作品は寓意に満ちているが、寓意を無理矢理に現代の比喩として捉えるのは、(それがいかに悲惨な世界を描いているとしても)作品の豊穣さを根こそぎにする。だから問題は、世界と相対した時、父は子に一体何を語り、何を残してやれるか、ということなのだ。破滅後の世界にせよ、今の世界にせよ、父は子に対して残してやれるものは、常に同じはずだ。それは希望であり、肯定であり、祈りであるはずだ。そして、自らの命をかけて、火を決して絶やさないということであるはずだ。
読書状況:読み終わった
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カテゴリ:
文学
- 感想投稿日 : 2010年7月26日
- 読了日 : 2009年7月26日
- 本棚登録日 : 2010年7月26日
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